コロナ禍を機に、一気に加速した「DX」だが、行きつく先にはどんな未来が待っているのか。一昨年の都知事選にも立候補した小説家、沢しおんが2040年のTOKYOを舞台にIT技術の行く末と、テクノロジーによる社会・政治の変容を描く。
※本連載は雑誌「DIME」で掲載しているDX小説です。
【これまでのあらすじ】
二十年のうちにデジタル化が浸透した二〇四〇年の東京。都庁で近々役割を終える「デジタル推進課」の葦原(あしはら)は、量子ネットワークから消えた住民データの調査を進め、刑事の常田(ときた)と水方(みなかた)は橘広海(たちばな ひろみ)の行方を追っていた──。
三者三様の捜索
百聞は一見に如かずと葦原は淡路(あわじ)にゴーグルをかけさせた。メタバース内の公文書館に突如現われた「進入禁止」表示については直接体感してもらったほうが早いと考えたからだ。
文書が非公開設定されているならまだしも、現実世界と違って触れさせない手段がいくらもあるメタバースで、わざわざ進入禁止エリアを設けるなどということがあるのだろうか。それを確かめたいという興味が淡路にもあるようだった。
葦原はしばらく、検索をしたり館内を捜索している淡路の様子を見ていた。不承不承の態度を装ってはいるが、実際は楽しんでいそうな姿が面白く思えた。
五分もしないうちに淡路は「あっ」と言ってゴーグルを跳ね上げ、葦原に「本当だ」と一言だけ伝えた。それからすぐ公文書館の職員にメッセージを送ってくれた。
「何年も文書管理システムを扱っているが、知らない仕様が存在するのは納得がいかない」
「それが原動力なんですね」
「ついでにその棚にある資料のうち、分庁舎(はなれ)に関するファイルの一覧を送ってくれと頼んでおいた。行方のわからない物を探すのに空間は便利だが、絞り込まれているなら行ったり来たりするのは無駄だ。聞いたほうが早い」
淡路の言っていた「職員は人間向け万能インターフェイス」という言葉が再び強く感じられた。公文書館からメッセージの返信がきたら転送してくれるという。
「ヌーメトロン様が邪魔しないことを祈っています」
葦原は淡路に合わせてそんな冗談を言って、分庁舎に戻ることにした。
***
サイバー局刑事の水方もまた、メタバース内での捜索に奮闘していた。
橘広海の失踪時に残されていた私物には、メタバースのアプリがインストールされていたものはなかった。一般に使われている薄型のVRゴーグルを装着する場合でも、モニター越しにアバターを動かす場合でも、近くに親機が必要だ。
だから、橘樹花(たちばな じゅか)が署を訪れた際に、橘広海がメタバースへ入るのに使用していた端末について聞いておいた。
答えは「ゲーム機」だった。近年発売された第八世代型の『プラットフォーム・ステーション』で、ゲームだけでなく各種映像配信からメタバースに至るまでのありとあらゆるプラットフォーム型サービスを受けることができる最新機種だ。
水方が中学生の頃に第五世代型が発売されたが、二〇二〇年代の円安や半導体不足、そして買い占め業者のために買う機会を得ることができなかった上に、性能的に上回るゲーミングPCは価格面で手が出なかった。
目の前にある第八世代型は署員にたまたま所持者がいたので借りることができた。ゴーグルは普段使用しているものでまったく問題がない。映像を近距離無線通信で遅延なく表示できるようになり送受信仕様が統一されてからというもの、端末の選択肢が広がったのだ。
水方がゴーグルをかけると『プラットフォーム・ステーション』が連動して起動した。ここから入ることのできるメタバースは多数あるが、デジタルツインのものは一種類のみだ。
メタバースの運営会社はアバター・スナッチャーの捜査にも協力的だから、橘広海の使用していたアバターを内部で確認できさえすれば、ログを出させることは可能だろう。
二十年ほど前にEUのGDPR(一般データ保護規則)の施行で利用者による個人情報削除が徹底されてからというもの、企業へ照会をするにしても利用者を特定した情報を手に入れることが難しくなった。
しかし、メタバースは利用者の個人情報が削除された後であろうが、そのアバターが存在した痕跡までを消すことはできない。
現実世界で何らかの痕跡が残るように、メタバース内でもオブジェクトやアセットが、ログとしてアバターのことを「覚えて」いる。
水方はそれを辿ろうと考えていた。失踪した橘広海は用意周到にSNSから行政で使用する個人情報までを何らかのクラッキング手法で消去し、現実世界でも張り巡らされた監視カメラ網に映ることなく、唯一の家族である樹花の前から消えた。だが、証言から自律型のボットが残されている可能性が高い。
本人から解き放たれた自律型のボットがどう動いているのかは実際に見るまでわからない。それに一般の利用者のアバターも多い場所ならすぐに見分けるのは難しい。声をかけても日常会話程度はAIが軽く済ませてしまうので「職務質問」にもコツが要る。
だが、水方はAIが特異な反応をする質問のパターンを心得ていた。チューリングテストに頼らずとも、会話用AIの挙動を狂わせる言葉の組み合わせがある。
メタバースに入った水方の眼前に、デジタルツインとしてコピーされた新宿駅前の風景が広がる。目的地は──。
***
同じ頃、常田は小滝橋通りから大久保に抜けるあたりに建っている講堂を訪れていた。入り口には『日本レガシー党 東京レガシーの会 講演会』の立て看板があり、バッグの中身をチェックされただけで、自由に入ることができた。
橘広海が身を隠していたと考えられる配送用ドローンが向かったのは、この政治団体の事務所だ。いきなり本丸に乗り込むのではなく、こういったオープンな場で手がかりを得ようというのが常田のやり方だ。
空調の効いた講堂内は、多数の支持者によってほぼ満席の状況だった。しばらくすると開演の案内があり、スーツ姿の男が壇上に上がると場内は拍手に包まれた。
「本日はお集まりいただきありがとうございます。日本レガシー党、党首の火槌(かづち)です。スクラップ・アンド・リビルド! 震災の復興を経た今、行き過ぎた電子化と効率化は、私たちの生活を大きく変えてしまいました。利便性を追い求めた果てに蔓延したのは幸福ではなく堕落でしかなかった。心の通わない無人店舗、融通の利かないドローンに依存する社会。子供たちはメタバースに現(うつつ)を抜かし、役所でさえデジタルの名のもとに人の繋がりを拒否している! その反省をもとに、来るべき道州制に合わせ、我々は古き良き時代、尊厳と規律に満ちた世界を取り戻さなければなりません!」
党首が拳を振り上げると、場内に歓声が湧きあがった。常田は眉をひそめてそれを聞き流し、橘広海に通じる手がかりが掴めるという信念のもと、場内の隅から隅へと目を配った。
(続く)
※この物語およびこの解説はフィクションです。
【用語・設定解説】
ゲーム専用機:物語における2040年では、ビデオゲームは専用機ではなくスマホやタブレットでプレイするのが当たり前になっている。専用機は2020年代から日本市場が弱まるにつれ徐々に売られなくなり、どうしても専用機で遊びたい人は海外から並行輸入している店を頼り、拙い日本語のUI表示を我慢しながら楽しむものへと変化した。
AIの特異な反応:例えば「AI画像認識をすり抜ける柄のセーター」「絵を描くAIに指示すると壊れた絵が必ず出力されてしまうコマンド」など、人間には認識できるのにAIに読み込ませると異常な結果を出力してしまうものがある。AIは我々とはまったく違う観点で物を見たり、言葉を解釈したりしている。
沢しおん(Sion Sawa)
本名:澤 紫臣 作家、IT関連企業役員。現在は自治体でDX戦略の顧問も務めている。2020年東京都知事選にて9位(2万738票)で落選。
※本記事は、雑誌「DIME」で連載中の小説「TOKYO 2040」を転載したものです。