両手が空いている時、何気なく右手で口元を覆っていることが増えた。今までの自分にはなかった癖だ。そんな癖ができたきっかけはまぎれもなくコロナ禍である。
口元を手で覆う仕草はどう思われているのか
所用を終えて巣鴨駅前を歩いていた。夜9時をだいぶ過ぎている。先方へ届け物があったのだが、それを渡してしまった後は両手が空くことになった。手ぶらの解放感を味わいつつ街を歩く。
いい時間であるし、帰宅する前にどこかで「ちょっと一杯」にしてみたい。駅前の横断歩道の赤信号を待つ。
路上で突っ立っていると、手持無沙汰の両手が自然に上がってきて腕組みをしてしまう。そして右手が意識せずとも口元へと伸び、着けているウレタンマスクの布地を撫でさする。
ウレタンマスクを着けるようになってからというものの、こうした仕草を無意識にする癖がついてしまっている。コロナ禍前にはこんな癖などなかったし、思い返してみると不織布のマスクを着けていた時期もこうした仕草はしていなかった。ウレタンマスクの布地の手触りがなかなか心地良いので、このような癖がついてしまったことは疑いようもない。
妙な癖がついてしまったともいえるのだが、ウレタンマスクを着けていない時にはこの癖は出ないし、そのうちマスクが不要となる状況になればこの癖も自然になくなるのだろう。あまり心配しなくてもよさそうだ。
多くの女性が食事中に口元を手で覆う仕草をしているが、これはやはり日本の中だけの風習なのだろうか。食事中の外国人女性をそれほど多く見かけたことはないが、少し思い返してみても食事中に手で口元を覆っている外国人女性を見たことはないように思う。
口元を覆う仕草は上品な女性が笑う時や、何かに驚かされた時に咄嗟に出てくる驚きの声を封じるために行なわれたりもする。そしてこのケースの仕草も主に日本人の間で行なわれているようにも思える。少なくとも口に手を当てて笑う外国人を見たことはない。しかし驚いて口を隠すポーズをしている外国人は映画やメディアで目にしていそうには思える。
このように手で口を覆う仕草は特に日本人女性に多く見られるもののように思えるのだが、そういえば少し前にネット広告か何かで日本人男性が口に手を当てて驚いた目でパソコンの画面を見ているシーンの画像があって、少し違和感を感じたことがあった。
この男性が驚いていることは理解できるのだが、少なくとも自分は驚いた時にこのような仕草をしたことはないし、メディア以外で実際にこういう仕草をしている男性を目撃したことはないはずだ。
あるいは外国人がもしこの男性を見た場合、何か耐えがたい悪臭に包まれている状況下であったり、吐き気を催して必死に抑え込んでいたりすると解釈されてしまうかもしれない。この男性を見て人によって解釈が異なったとしても不思議ではなさそうだ。
表情の解釈は人によってかなり異なる
信号が青になり、横断歩道を渡る。駅前ロータリーの真ん中にある交番の前を過ぎ、横断歩道を渡った先の白山通りの歩道は広く少し先まで屋根が架かっている。「おばあちゃんの原宿」ならではの“親切設計”の街並みということになるだろうか。
飲食店は反対側の歩道のほうが多いように思えるが、こちらの通りは右に入れば飲食店街が広がっている。どこかで右折することにしよう。
歩き出せば口元を覆っていた手も自然に下におりてくる。手ぶらの両手を軽く振りながら歩く。
自分の場合、マスク越しに口元を手で覆っていても、目は驚いてもいなければ笑ってもいないので特に誤解されることもないとは思うが、特定の表情が異なった解釈をされているケースは案外多いのかもしれない。最新の研究でも同じ顔の表情でも人によって解釈にかなりの幅があることが示唆されていて興味深い。
感情分類のパフォーマンスは、テスト表現が各個人によって生成された表現と一致する程度によって説明されることがわかりました。
私たちの調査結果は典型的な成人集団の間でさえ、人々の顔の感情表現における変動の幅の広さを明らかにしています。
これは感情的な刺激に対する反応の解釈に大きな意味を持ちます。これは感情的な反応を生み出す脳のメカニズムの違いではなく、人々が特定の顔の表情に起因する感情のカテゴリーの個人差を反映している可能性があります。
※「PNAS」より引用
ロンドン大学クイーンメアリー校をはじめとする合同研究チームが2022年11月に「Proceedings of the National Academy of Sciences」で発表した研究では、3Dアバターを使った実験で人々が表情をどのように解釈しているのかを探った。
研究チームは近似解を探索する「遺伝的アルゴリズム(genetic algorithm)」を3Dアバターに適用し、アバターの特定の表情がどのように見えるべきか納得できるまで、ユーザーがアバターの表情を調整できるプログラムを用意した。
そして合計336人がこのアバターを使用して、幸福、恐怖、悲しみ、怒りを表す表情を作成したのだ。研究チームは人々が作成する表情がかなりの幅をもって異なってくることを発見した。これは人々が異なる表情を自分と同じ感情状態に関連付けていることを示唆している。
次に研究チームはアバターの表情を生成した人々に対して標準的な感情認識テストを課した。研究チームは人々のパフォーマンスの違いは、標準的なテストの表情がアバターで作成した表情とどれだけ一致するかによって説明されることを発見したのだ。
つまりある特定の表情は、見る者によってさまざまな解釈が行なわれていることになる。口に手を当てている人物を見てそれをどう受け止めるのかは人によってけっこう異なるということになる。
選手の悔し泣きを嬉し泣きと誤解する
この界隈で「ちょっと一杯」するのであれば数店の店が思い浮かぶのだが、その1つのほうへと自然に足が向かう。ともあれこの時間に普通に外で飲めるようになって本当によかった。飲食店の“休業要請”や“時短要請”のあの時期はもう二度と味わいたくないものだ。
十字路へやって来ると右手に何度か入った居酒屋がある。ここは立ち飲みもできるお店で、壁がガラス張りなので明るい店内の様子が良く見える。見れば立ち飲みカウンターに空きがあるようだ。人気店なので埋まっていることも少なくないのだ。ここは迷わず入ってみたい。
店内はなかなかのお客の入りだ。お店の人に立ち飲み希望の旨を伝え、カウンターの一角に着く。目の前には大画面の液晶テレビが設置されていてニュース番組を流していた。
ここに来た時はたいてい注文する大容量サイズのハイボールをお願いする。すぐに大きなジョッキに入ったハイボールがやってきた。ジョッキを受け取るタイミングで「鉄板豚味噌ホルモン」に「ブルーチーズケールサラダ」を注文した。
ともあれマスクを外してジャケットの胸ポケットに入れ、ハイボールをひと口飲む。ホッとひと息つく瞬間だ。目の前のテレビが流しているニュース番組は終盤のスポーツコーナーに入っているようで、ある競技の女子選手が涙を流しながらインタビューに答えている様子が映し出されていた。大会で優勝を飾った歓喜の涙だろうか。
鉄板焼きとサラダがやってきた。居酒屋ならではのメニューで美味しそうだ。さっそくいただこう。豚モツの鉄板焼きは酒の肴にピッタリで食べやすく美味しい。
お酒がすすむ。ジョッキを傾けながらテレビを眺めるとマスク姿で涙を流している女子選手は嬉しくて泣いているのではなく、試合に負けた悔し涙であることがわかった。
ニュースで取り上げられているだけに嬉し泣きのシーンなのかと思ったが、どうやら前評判で優勝確実といわれていた選手の敗北後のインタビューのようであった。自分の解釈が誤っていたことになる。
一瞥しただけでは実は表情の解釈は案外難しいということだろう。ただでさえマスクで他人の表情がわかりにくくなっているのだから、こうして表情を誤解していることは実はかなり多そうだ。
マスクを取った今の自分は右手が口元に向かうことはない。やはりマスクをしているという“異常事態”でこれまでとは違う不自然なリアクションが生じてしまっているのだ。
しかしこうしてアルコールが入ってしまった以上、あまり深いことは考えなくてもよいと思うし、そもそも考える状態にはない。ビールを飲めば飲むほど異性が魅力的に見えてくるビール・ゴーグル(beer goggles)という現象もあるといわれている。その状態では人の表情や気持ちの細部を慮ることなどできはしない。あまりいろいろと考えずに暫しの間、ほろ酔いを楽しむことにしたい。
文/仲田しんじ