徹頭徹尾庶民の筆者がライターなどという仕事をしていなければ、虎ノ門ヒルズには一生涯立ち入らなかっただろう。
虎ノ門ヒルズの52階、アンダーズ東京ルーフトップバーが今回の取材先である。
10月13日、一般社団法人awa酒協会が主催する「AWA SAKE」大使就任式とawa酒試飲会がここで開催された。その招待状が筆者の手元に届いたため、静岡市から足を運ぶことになったのだ。
「AWA SAKE」って一体何だ!? という声もあるだろう。これは一言で言えばスパークリング日本酒だが、もしかしたらこのAWA SAKEはコロナ以後の時代の「常識的な酒」になるかもしれないのだ。
「ワインの重鎮」が続々出席!
筆者は官舎住まいの安月給刑務官の息子であり、しかもその親父は下戸でビールすら飲めなかった。
故に「酒が提供されるフォーマルなパーティー」というものに筆者が初めて参加したのは、30代になってからだ。
そんな男の目からすれば、今回のイベントは目の眩むような光景である。
awa酒協会が認定するAWA SAKE第2代大使に認定されたのは、世界的ソムリエの田崎真也氏。
そう、あの田崎氏である。20年前のワインブームの立役者だ。成人間もなかった頃の筆者も、田崎氏に影響されてワインを飲むようになった。
そして、会場には『日本のワインを愛する会』会長で俳優の辰巳琢郎氏の姿も。食通、そしてワイン通で知られる辰巳氏だが、筆者にとっては小学生の頃に夢中で視聴していた浅見光彦その人。
そもそも、筆者がこの商売をやっているのは浅見さん=辰巳氏の影響が多分にある。
こ、これはすごいところに来ちまったぞ!?
癖がなく、澄んだ味わい
さて、今回のイベントはスパークリング日本酒の試飲会である。
awa酒協会に属する全国の蔵元が、丹精込めて生産した1本を来場者のグラスに注ぐ。「シュワシュワ」と音を立てる、澄んだ液体。
筆者はスパークリングワインを飲んだ経験は幾度もあるが、スパークリング日本酒はこれが初めて。一体、どんな味がするのか……?
銘柄問わずに共通して言える特徴は「色と同じように澄み渡っている」ということだ。
ワインはブドウという果物を原料にしているため、どのみち果実酒特有の「癖」が出る。
が、スパークリング日本酒にはそれがない。口から舌を経由してそのまま一切つまづくことなく喉に流れ込む……と書けば妥当か。
そして、そこから先は銘柄毎の特色が発揮される場面だ。ある銘柄はフルーティーな味わいを加え、またある銘柄はウイスキー樽を使って洋酒の風味を与える。
此度のイベントで筆者が「これは!?」と思ったのは、新潟県南魚沼市の八海醸造株式会社が製造する『瓶内二次発酵酒 あわ 八海山』。
日本酒ならではの王道的な風味を発揮しつつ、気高い甘みも含まれている。
筆者は田崎氏のような繊細で難解な味の表現はできないが、それでもこの『瓶内二次発酵酒 あわ 八海山』は最高に美味い! と感じるに至った。
awa酒協会はスパークリング日本酒を「世界の乾杯酒」にするという目標を掲げているが、これは確かに「特別な日のための酒」である。
たとえば、クリスマスイブの夜に彼女の前でこの酒を空ける……というシチュエーションも悪くないだろう。
ターニングポイントは1973年
「“お米で酒を作る”というのは、かつては贅沢なことでした。故に日本酒の需要はその供給を常に上回っていたのですが、近代に入ってそのバランスに変化が訪れます。日本酒の需要と供給が逆転したのは、1973年のことです」
awa酒協会の永井則吉理事長は、壇上で参加者を前にそう説明した。
1973年は、永井氏の言う通り「地方文化のターニングポイント」である。
漫画家・矢口高雄の名作『おらが村』は、ちょうど1973年に連載が始まった作品である。
舞台は奥羽山脈の麓の農村。主人公は高山政太郎という米農家の主人である。
戦後20年が経過した頃、米の品種改良が進んだおかげでかつてのように凶作で飢える心配はなくなった。
が、それと引き換えに米が供給過多になり、国は大規模な減反政策を実施する。
すると村の若者は、農閑期に都会へ出稼ぎに行くようになる。出稼ぎならまだいいが、中にはそのまま東京や横浜に完全移住し、故郷へ戻らなくなるということも珍しくなくなった。
豊かさと引き換えの「地方の空洞化」。それが『おらが村』で詳しく描写されている。
その流れは無論、地方で生産される特産品にも及ぶ。旺盛な経済力を背景にしていた当時の若者は、海外旅行で味わったワインや醸造酒を帰国後も求め続けた。
フランス、イタリア、スペインのワインが洪水のように輸入される一方、日本の地方都市で生産される伝統的な酒は「古臭いもの」と見なされた。
しかし、それも今や昔の話である。
バブル経済からの転落を体験した日本人は、徐々にその目を自らの足元に向けるようになった。
かつてのように、海外のモノを資本ごと買ってしまうような経済力はない。
しかし我々には、長い歴史の中を生き抜いてきた伝統産業があるではないか。失われた20年、リーマンショック、そして100年に一度のパンデミックを骨の髄まで味わった我々日本人は、ますますその視線を「地元の伝統」に向けるようになった。
そして、伝統産業も時と共に進化する。
ブームの予感
「日本酒の需要は供給を下回っている」という永井氏の憂いに対し、30代の筆者はより楽観的に考えている。
自分と同じ年頃の人々は、それより上の世代の人々よりも「古いもの」や「地元のもの」に対する抵抗感が希薄だからだ。
御朱印帳を片手に寺社を巡ることにも、美術館の仏教展を見に行くことにも、そして日本酒の試飲会に行くことにも抵抗を持っていない。むしろ、それらのブームすら発生させている。
今現在の30代を中心とした「スパークリング日本酒ブーム」が、近いうちに到来するかもしれない。
高度経済成長時代もバブル時代も知らない世代は、それだけ「伝統的なモノやコト」を求めているということだ。
日本という国は、地図で見るよりもだいぶ広い。その中に点在する文化や特産物を探す行為は、まさに「大冒険」というべきロマン溢れる遠足でもある。
【参考】
AWA SAKE
瓶内二次発酵酒 あわ 八海山-八海醸造株式会社
取材・文/澤田真一
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