『こどもかいぎ』――。この映画はそのタイトル通り、子どもが会議するさまを中心に据えたドキュメンタリー映画。そこにひねりはない。なのに、めっぽう面白い。そのからくりとは?
年長さんが、真剣に会議
『うまれる』『ずっと、いっしょ。』『ママをやめてもいいですか!?』と、家族というつながり、そして命そのものを見つめるドキュメンタリー映画を手掛けてきた豪田トモ監督。その最新作が『こどもかいぎ』。子どもたちによる話し合いの場「ミーティング」という、「こどもかいぎ」のモデルとなった取り組みをする保育園「りんごの木」で、実際にその話し合いに参加した豪田監督。ある保育園に協力を依頼して「こどもかいぎ」を実施してもらい、その様子を一年間かけてカメラに収めることに。
つまり映画に登場する子どもたちは最初から「こどもかいぎ」の経験が豊富なわけではなく、会議をすること自体が新鮮なもの。いやその前にイスにじっと座っていること、お友達の話を聞くこと、自分の気持ちを言葉にすること――。そこからもう手探りで、果たしてこれ、どんな会議に?観る側は子どもたちの言葉に、意識がぐぐっと集中する。
まずは司会役の先生が円形にイスを並べて座る5~6人の年長さんを前に「〝みんなってどんなことを不思議に思ってんの?”大会です」と口火を切り、子どもたちがつぎつぎと発言していく。もしこれが小学生だったら、こうはいかないだろう。「間違ったらどうしよう?」「こんなことを言ったらヘンな子だと思われるかも?」。生まれたばかりの自我は大きく膨らみ、それとうまく折り合いをつけることにも不慣れ。しかも映画を撮るとかいって、知らない大人が自分たちにカメラのレンズを向けていたら?みんな必要以上に恐縮したような空気が漂い、黙って下を向く子が続出するかもしれない。
でもこの映画のメインに出てくる保育園の年長さん、5歳くらいの子どもたちだと全然事情が違ってくる。たいていの子は自分が感じたこと、その場の思いつきを、瞬時に脳みそが言葉と直結させて、口からこぼれるように発言する。それがときに大人の予想もつかない方向から鋭く真実を衝くようだったり、洗練された詩句のように響いたり。それを観ているこちらは、いまなんつった!?みたいな気になってハッとしたり苦笑いしたりする。
最初の会議から大人のそれとは違って何も解決しないし、明確な結論が出るわけでもない。えっそこで終わり!?みたいにあっさり閉会するのだが、言いっぱなしみたいな子どもたちの発言がもうどれもこれも面白い。こどもかいぎ、楽しいな。糸井重里のちょっとのんきに響く優しい声によるナレーションもあって、すんなりと子どもたちの世界に入っていく。
鼻くそは、きなこ味?
舞台となった保育園は「見守る保育」に取り組んでいる。基本、先生ら大人は子どもたちの手を引いて正しい方向に導く、とかではなく、手を離してやる。一歩引いて子どもたちを見守ることを大切にしている。そのときに大事なのは「子どもがなにをやろうとしているのか理解してやること」と園長先生は言う。
そうしたことに慣れているからなのか、会議で司会役を務める先生たちは、正しい結論にたどり着くために誘導するようなことはいっさいしない。「なんで鼻くそをほじるの?」というお題に「だって美味いから。きなこの味がするから!」みたいな意見が飛び出すと「きなこの味~!?」とか言って爆笑する。一緒に会議を楽しんでいる。ときに真顔で感心したりもして、会議のあとに「みんながこんな面白いことを考えているなんて知らなかった」と感想をこぼす。
また、こんなこともある。よくあるおもちゃの取り合い、それがエスカレートして手が出たりキックしたり。ケンカに発展すると、先生たちはその当事者を「ピーステーブル」に連れていく。ケンカしていたところから物理的に少し距離を置くために場所を移動し、小さなテーブルを囲んで、当事者同士で話し合いをさせる。
激務であるはずの日常のなか、このひと手間をし続けている先生の忍耐力にもう尊敬の念が湧く。「〇×君、あなたが悪いのだから謝りなさい」「もう十分遊んだのだから、貸してあげたら?」とか言って終わりにしようとしない。なんかもう、その時点でスゴイ。終日、子どもにまみれて必死に保育をしていて、ケンカが起きて誰かがケガをしたら大変だし、ここはなる早で収めようとショートカットを決め込むのが普通だろうに。その丁寧さに感嘆する。
「子どもの考えは聞いてみないとわからない」
それで、この映画での見どころはそこから。先生は「なにがイヤだったのかお話して」とか言ってその場を離れてしまう。それで残された子ども、ケンカの当事者同士が机を挟んで、神妙な顔で話し合う。号泣しながら、如何にイヤな思いをしたかを語る女の子。私だって!と反論する子。一見、ここは居酒屋?みたいな感じで、でも意外とその話し合いは実りあるものになり「じゃあ仲直りする?」とか言って、あっという間に美しく決着する。
いくつかのそうした話し合いを見ていると、大人にも「ピーステーブル」が必要ではないかと思えてくる。爆発しそうな感情をそのまま載せて言葉にし、相手に直球でぶつけられたら。案外それで気持ちはどこかに落ち着くのかもしれない。負の感情を抱えたまま言葉にすることなく無理やり体の奥底に沈め、それがいくつも折り重なって無意識にどうにもならなくなって、その重さに引きづられてずぶずぶと暗~い闇に沈むより、よほどましだと思える。でも現実的ではないのか、やはり。
こどもかいぎ、もそう。その話し合いは、その過程自体がとても意味のあるものだとわかる。子どもはなにも考えていないわけではなく、子どもなりにめちゃくちゃいろいろなことを考えている。ただその表現の仕方を知らなかったり、表現して相手に伝えればいいということに気づいていなかったりするだけ。そしてそのことを、大人であるはずの自分はちゃんと時間をかけて意志を持ってやっているだろうか?と自問することになる。
そしてなにより、子どもたちの発言が面白くて仕方がない。会議を重ねるうちに表現することが上手になり、自由にいきいきと発言していく子どもたちの姿もすがすがしい。保育園での子どもたちはそれぞれの家庭で親の目に映る子どもとは違う姿であるはずで、親御さんたちが見たらきっと驚くに違いない。先生がいうように「子どもの考えは聞いてみないとわからない」というのも本当。その通りだと思う。
シーンの合間合間には、カオスな給食の時間、園庭で遊ぶ子どもの全力な姿もスケッチされる。この映画を観たら、子どもってこんなに面白いの!?育児をママだけに任せておくのはもったいない!そんなパパさんが続出するかもしれない。
そしてわかってはいたけれど改めて、園の先生に子どもたちの家庭の事情は良くも悪くも筒抜け。ママたちパパたち、要注意!
(作品データ)
『こどもかいぎ』
(配給:AMGエンタテインメント)
●企画・監督・撮影:豪田トモ ●ナレーション:糸井重里
●7月22日よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開
文・浅見祥子