メルシャンが2022年3月に満を持して発売したワインの新ブランド『メルシャン・ワインズ』。世界の造り手とメルシャンの造り手が日本のお客様のために共創した輸入ワインの新ブランドである。輸入ワインでありながら日本のブランドという独特の立ち位置にある。
間違いのない品質を気軽に楽しめる「クオリティー」、好奇心を満たし新たな体験が楽しめる「ディスカバー」、個性豊かで産地と造り手の物語にあふれた贅沢な「ラグジュアリー・コレクション」の3シリーズを展開するが、「ディスカバー」シリーズの第1弾が『メルシャン・ワインズ ブレンズ パーフェクト・ブレンド レッド/ホワイト』(以下、ブレンズ パーフェクト・ブレンド)である。
名前からわかるようにブレンドワインだが、レッド/ホワイトともに、スペインとオーストラリアの2か国のワインを日本でブレンドしている。ブレンドワイン自体は決して珍しいものではないが、異なる2つの国のワインを、さらに別の国でブレンドするというのは、世界でもほぼ例がないといってもいい。
成り立ちがユニークな『ブレンズ パーフェクト・ブレンド』だが、誕生の裏で、日本へのワインの輸送と同社の藤沢工場(神奈川県藤沢市)での充填において品質を改善するプロジェクトが実行されていた。一体何が行なわれたのであろうか?
メルシャン・ワインズ ブレンズ パーフェクト・ブレンド レッド/ホワイト
改善の余地があった充填工程
同社は『シャトー・メルシャン』をはじめとする自社ブランドのワインの製造・販売だけではなく外国産ワインの輸入販売も行なっている。輸入ワインのほとんどは、現地生産者により充填されたボトルワインとして日本に運んでいるが、ごく一部は藤沢工場で充填している。
日本で充填する外国産ワインは、コンテナに収められたフレキシタンクと呼ばれるものに詰め、船で運ばれてくる。フレキシタンクはポリエチレン素材でできており、同社では主に2万4000Lのものを採用している。船で運ぶ場合は、フレキシタンクを使って運ぶのが世界的な主流だ。
フレキシタンクの飲み口にホースを接続。ポンプを通過してワインを受け、タンクへと送る
『メルシャン・ワインズ』の立ち上げには、日本在住の日本人で唯一マスター・オブ・ワインの学位を持つ大橋健一氏がブランドコンサルタント、マスター・オブ・ワインの試験に最初の挑戦で合格し特に成績優秀だった者に贈られるTim Derouet賞も受賞しているサム・ハロップ氏がワインメイキング・コンサルタントとして携わっている。2021年5月、同社は大橋氏を藤沢工場に招き、工場を一通り見てもらった上で、品質を高めるための助言をいただいたという。どのような助言だったのか? 当時、藤沢工場技術課で『メルシャン・ワインズ』の開発に携わった松山周平さん(現、企画部)は次のように振り返る。
「ワインの品質を高めるには、亜硫酸の管理と酸素の管理がキーになります。藤沢工場の充填環境に関する各種データを交えながら大橋氏と意見交換する中で、『充填工程は改善の余地がある』とアドバイスをいただきました」
このアドバイスを受け、同社は工程改善として次の3つに取り組むことにした。
①ワイン輸送の際に不活性酵母を活用
②充填環境の改善
③TPO(Total Packaging Oxygen:容器内酸素濃度)マネジメントの実施
では、実際の取り組み内容を1つずつ見ていくことにする。
輸送するワインに不活性酵母を添加
まずは不活性酵母の活用。藤沢工場でも発酵中に活用することはあったが、不活性酵母を添加した状態で現地から藤沢工場まで運んでみることにした。目的は輸送中にワインが本来持つ豊かな香気成分の損失を抑えるため。輸送中にも不活性酵母を使うのは、初の試みだった。
「サム・ハロップ氏から海外の事例として、ワイン輸送時に不活性酵母を添加することを提案されました。不活性酵母を輸送時にワインに添加するのは、海外では主流です」
不活性酵母の活用についてこう明かす松山さん。現地で原酒に添加した不活性酵母は藤沢工場に到着した後、ろ過して取り除かれる。テイスティングしたところ、フレッシュで華やかな香り立ちがしたそうで、不活性酵母を使った効果が見て取れたという。
ただ、成果検証はこれからだ。「われわれのワインを使って、不活性酵母を添加せず日本まで運んできたものと添加して日本まで運んできたものを比較したデータは欲しいと思っています。現在、生産者と共同で試験系を検討しているところです」と松山さん。同一ロットのワインをフレキシタンクに2万4000L充填し、同じタイミングで出航し日本で受け入れたもので評価しないと、不活性酵母を輸送時に添加することの効果が検証できないという。検証は2022年中には実施したい考えで、結果がわかるのは2023年以降になる見通しだ。
充填温度を下げただけで香気成分の保持力アップ
充填環境の改善については、充填温度を見直した。具体的には、ワインをボトルに充填する際の温度をわずかだが下げることにした。
温度を下げたことの効果はワインの香り成分の量に表れた。「通常、製品化するに当たっては、工程を経るごとに香気成分に限らず様々な成分量や質が変化します。今回の検証ではグレープフルーツの香り成分である3MH(3メルカプトヘキサノール)と、パッションフルーツの香り成分である3MHA(3メルカプトヘキシルアセテート)を香り成分の指標に置き、充填時のワインの温度を下げることで、元々あった香り成分の量から減少する量を少なくすることができました」と松山さん。3MHは温度を下げることでそれ以前の温度と比べて48.5%、3MHAは同じく34.7%減少を抑えることが確認できた。
ただ、温度を下げて充填することにはある懸念があった。それは、ボトルの外側が結露してしまうこと。これにより、ラベルを貼る工程でうまくラベルが貼れないという問題が起こりかねなかった。検証の結果、充填温度を下げても結露が起こらないことが確認でき、懸念は払拭された。
充填時の温度設定にメドがついたのは2021年末。2022年1月に初回生産を実施しているが、生産に入る直前まで検証は繰り返されたという。
ガス置換で容器内酸素濃度を低減
TPOマネジメントに関しては、2022年度の目標として2.0mg/Lと自ら設定した。この目標値は世界トップレベル。大橋氏やサム・ハロップ氏とディスカッションする中で、「チャレンジング」と評されたほどだった。
いきなり世界トップレベルの目標を設定した理由を、松山さんはこう明かす。
「ワイン造りの基本は『良いワインは良いブドウから』。いい原料を使うのはもちろんなのですが、われわれの加工プロセスが片手落ちだったらワインの品質を落とすことにつながります。工場内で話をし、原料の品質にこだわるだけではなく今の加工プロセスの管理がベストなのか?という視点をから見つめ直し改善することにしました」
容器内の酸素濃度を下げることによりワインの酸化を抑えるのがTPOマネジメントの目的。手法としてはガス置換を用いることにした。
今年度の目標実現に向けて仮説を立て、サム・ハロップ氏から助言を得たり、海外の文献などから取り組むべきことを見つけて取り組んだりすることを検討しているのが現時点の状況。目標達成のためにはやるべきことはまだまだあり、年々ステップアップしていきたい考えだ。
年々ステップアップという考えに至ったのには、このような反省もあった。松山さんは次のように話す。
「いままでは、『商品は一度発売したら終わり』と思っていたところが若干ありました。しかし、お客様から見えないところまで含めて開発・製造に関わる私たち醸造家は日々成長していくことを志向しています。あるレベルまで達成できても、さらに上のレベルを実現するにはやるべきことが残されています」
不可欠だった現場スタッフのサポート
プロジェクトの推進で必要不可欠だったのが、現場スタッフのサポート。実際にオペレーションを担当する現場スタッフの協力が得られないと、これほどの見直しは難しかった。取り組みはまだ途上にありより明確な成果が表れるのもこれからだ、そのような段階であったとしても、工場を含め社内が一丸にならないと実現できなかった。
生産性を追求する生産部門も技術部門と同様に、お客様に高品質のワインを届けたいという想いがある。だから、プロジェクトに理解が得られたところがある。
現場スタッフの強みは、開発部門からは気づきにくい視点から加工プロセスを見ることができるところ。充填温度を下げることでボトルの外側に結露が発生することの懸念は、現場スタッフならではの視点から示されたものだった。
ワイン造りの基本に立ち返るいい機会に
検証が進んでいないところがあるので成果を大々的に打ち出しにくいところはあるが、充填温度をわずかに下げたことで香気成分の保持力がアップしたことは新たな発見であった。「香気成分の量がワインの美味しさに関係しているのであれば、温度管理の重要性に改めて気づくことができました」と松山さん。わずかな温度の変更だけで味わいに変化が生じるとは思いもよらないことだった。
香気成分の保持力がアップしたこともあってか、白ワインの方はこの4月に、日本で実施された国際ワインコンペティション「サクラアワード2022」でダブルゴールドを受賞しているほど。一定の高評価を得ており、プロジェクトで取り組んできたことの方向性は今のところ正しいといってもいいだろう。
これまでの取り組みついて松山氏はこう振り返る。
「ワイン造りの基本に立ち返る機会が、あるようでなかったと思っています。栽培、醸造、充填、出荷のどの工程も大事であり、今回焦点を当てて取り組んだ充填工程も片手落ちになると高品質の原料をムダにしかねません。今回のプロジェクトを通じて基本を押さえることの大切さに改めて気づくことができました」
今回のプロジェクトで得た知見は将来、他のワインに生かすことも視野に入っている。
一方、営業本部マーケティング部輸入ワイングループ ブランドマネージャーの伊藤佳奈子さんはこう振り返る。
「『メルシャン・ワインズは』は海外のワイナリーとの共創をテーマとしており、ワイン輸入元のワイナリーの酒質や個性を非常に大切にしています。ですが、ワインの味わいについて、メルシャンやサム・ハロップ氏が入ってディスカッションして決めるところは決めていますし、ブランドを立ち上げ、ラベルをつくり、消費者とのコミュニケーションで商品が持つ価値をどのように伝えるかを考えているのはメルシャンです。海外のワインでありながら日本のブランドであるという立ち位置が独特のため、今回のプロジェクトは実現できた面があります」
メルシャン
企画部 松山周平さん
営業本部マーケティング部輸入ワイングループ
ブランドマネージャー 伊藤佳奈子さん
できていそうでできていなかった基本の立ち返りができたという意味では、今回のプロジェクトは意義深いチャレンジになった。ワインに限ったことではないが、消費者からは見えないものづくりの裏側では、こうした試行錯誤が常に行なわれているものなのである。
取材・文/大沢裕司