■連載/Londonトレンド通信
大海原を漂流する小舟を思い浮かべてほしい。
幸いなことに、そんな経験をしたことはない。これからもないよう願いたいが、映画では珍しくないシーンだ。
そこに、大きな船が見えてくる。「助かった!オーイ、オーイ」、喜びにあふれ、手を振り大声を上げるところだ。
だが、その状況で、手放しで喜べないケースとは?
敵の船では?というケースはありそうだ。そんな戦争映画を観た気もする。思いつくのはそれくらいだが、今回のケースは違う。難民だからだ。
船が、難民を受け入れる国のものかはわからない。たとえ命がつなげても、その後どうされるかもわからない。
聞けばなるほどと思えるが、今まで考えたこともなかった。ボートにすし詰めにされた難民のニュースを見ても、可哀そう、と上から目線の感想で止まっていた。
今回の映画『FLEE フリー』(6月10日公開)は、そこで止まることができない。
アフガニスタンからの難民アミン(仮名)が打ち明ける、デンマークにたどり着くまでの物語だ。Fleeには、逃げる、逃れる、避難する、の意味がある。
それから20年を経て、デンマークで学者になった36歳のアミンには、同性のパートナーがいる。
難民にだって、知的な人もいれば、いろいろなセクシュアリティの人もいるだろう。そんなあたりまえのことに、まず気づかされる。ひとかたまりとして見えていた難民も、それぞれ固有の物語を生きてきた、個々の主体なのだ。
アミンの打ち明け話は、アニメーションで描かれる。
アミンと家族の身の安全を守るためだ。アニメーションドキュメンタリーにされたこと自体が、難民という立場の危うさを物語る。当時の記録映像は、実写で差し挟まれる。
語る声は、アミン自身の声を使っている。彼の語りで、1人の難民が、かたまりから抜け出て、アミンというくっきりしたキャラクターとして立ち現れる。
聞き役は、ヨナス・ポヘール・ラスムセン監督だ。
ラスムセン監督は、アミンにとって、デンマークの学校で知り合った長年の親友だ。だからこそ、20年間秘密にしていた話を打ち明けることができたのだろう。
ラジオと映像の両方でドキュメンタリーを作ってきたラスムセン監督は、聞くプロでもある。
アミンへのインタビューは数年に渡り行われた。ラスムセン監督は、培ってきたテクニック、語る人を横たわらせ目を閉じさせ、当時の風景、匂い、感情を呼び起こす、を使い、アミンから生々しい記憶を引き出した。
アニメで再現された記憶は、家族が散り散りになっていく過程でもある。
反体制派と疑われた父親が当局に連れ去られた後、母と子はモスクワに逃れ出る。母親は、そこから子どもたちをヨーロッパに逃がそうとする。その手段を手配する金額は、低いものではない。何とか工面し手配できても、試みが成功するとは限らない。
冒頭の状況になれば、漂流したまま命尽きることもある。アミンと姉たちの文字通り命をかけたモスクワ脱出は、それぞれに複数回試みられる。
その中で、アミンは自身のセクシュアリティにも向き合う。
可哀そうでは済まされないように、アミンの感情も哀しいだけではない。恥ずかしさ、後ろめたさを抱く出来事もあれば、暖かく思い出される人もいる。
デンマークで暮らしを築けたアミンだが、それまでの経験を誰にも明かせずにいた。語ることを決意したのは、トラウマとなった記憶に蓋をしていくことが、先へ進むことの足かせになっていったからだ。
明かせない秘密があることで、アミンと周囲の間には距離ができた。それは、パートナーとの関係でも障害になった。
自分は誰なのか、故郷とは何なのか。
そうして完成した映画は、パーソナルな思い出を超えるものになった。
生きるために逃げる、逃げながら生きるとはどういうことか、難民として生きるとはどういうことか、考えずにはいられない。
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文/山口ゆかり
ロンドン在住フリーランスライター。日本語が読める英在住者のための映画情報サイトを運営。
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