ミャンマーから徹底する企業が相次いでいます。ENEOSホールディングスが2022年5月2日にミャンマーの天然ガス事業からの撤退を表明。フランスのトタルは2022年1月に早々と撤退を決めていました。ドイツの食品卸売事業メトロ、鉄鋼事業を展開する韓国のポスコも手を引いています。そしてキリンホールディングスもミャンマーからの撤退した企業のひとつです。
アセアンで最も成長期待が高かったミャンマー
キリンホールディングスは2015年8月にミャンマーでビール事業を展開するミャンマー・ブルワリーの株式55.0%を697億円で取得しました。
2015年3月に磯崎功典氏が代表取締役社長に就任。磯崎氏は3000億円を投じたブラジル事業、840億円を投じたオーストラリアの乳飲料事業の売却を進めるなど、海外事業の大改革を推進しています。
社長就任直後に期待をかけていたのがミャンマー事業でした。
ミャンマーは2011年3月にテイン・セイン氏が大統領に就任。軍籍のない初の大統領となり、軍事政権に終止符が打たれました。ミャンマーはアジア最後のフロンティアと呼ばれており、2011年から2015年は実質GDP成長率が8%前後で推移していました。
2016年にアウン・サン・スーチー氏が政権を率いると、外国投資を歓迎するようになります。IMFは2017年から2022年にかけて、ミャンマーが7%台の成長率を維持すると予測していました。人口も5,000万人以上あり、アセアン4位のタイに次ぐ規模を有していることも注目に値しました。キリンホールディングスのミャンマー進出は歓迎されます。
シェア8割を握るミャンマー・ブルワリーは寡占企業特有の高利益体質
キリンホールディングスが買収したミャンマー・ブルワリーは、ミャンマーのビールのシェア8割を握る企業。ビール市場を独占したといっても過言ではありません。キリンホールディングスの海外事業の業績に、そのうま味がよく表れています。
売上収益は海外事業の主力となるオセアニア綜合飲料事業が大部分を占めています。オセアニア綜合飲料事業は2009年4月に完全子会社化した、オーストラリア・ニュージーランドを中心にビールを販売するライオンによるものです。
新型コロナウイルス感染拡大前の2019年12月期オセアニア綜合飲料事業の売上収益は2,997億円。ミャンマー事業は326億円ほどに留まっています。
※決算説明資料より筆者作成
しかし、利益に目を転じるとその影響力の大きさがわかります。ミャンマー事業の2019年12月期の事業利益は129億円。オセアニア綜合飲料事業は414億円です。
※決算説明資料より筆者作成
2019年12月期のミャンマー事業の利益率は39.6%。オセアニア綜合飲料は13.8%です。アメリカノースイースト地域でコカ・コーラを販売するコーク・ノースイースト事業は、清涼飲料水であるために4.0%ほどしかありません。
※決算説明資料より筆者作成
ミャンマー市場をほぼ独占しているために価格競争が起こらず、高利益体質を維持していました。
ビールを旺盛に消費していたミャンマー国民だったが…
ミャンマーからの撤退により、キリンホールディングスは100億円前後の事業利益を失うこととなりました。キリンホールディングスは、2021年12月期の売上高を1兆8,700億円、事業利益を1,700億円と予想していました。しかし、売上収益は予想を2.6ポイント下回る1兆8,215億円、事業利益は予想を2.7ポイント下回る1,654億円で着地しています。
キリンはミャンマー・ブルワリーを697億円で買収しましたが、撤退による減損損失が累計で680億円に上りました。ほぼ全額を減損していることになります。
利益が消失したことも大きいですが、手痛いのは成長性という“伸びしろ”を失ったこと。ミャンマーのビール消費量は2019年に47.1万キロリットルありました。
※市場データ・販売概況より
消費量は右肩上がりに増加しています。アセアンではタイが188.7万キロリットル消費しています。タイの人口は6,600万人でミャンマーと近いところにあります。100万キロリットルを超えるポテンシャルは十分に持っていました。
ビールから健康食品へとシフト
しかし、ミャンマーは2021年2月にクーデターが起こります。ミン・アウン・フライン国軍総司令官にすべての権力が移譲され、事実上の国家指導者となりました。
キリンがミャンマーから撤退する最大の契機となったのが、2019年11月に発表したアメリカのクラフトビール大手ニュー・ベルジャン・ブルーイングの買収。アメリカ第3位のクラフトビールメーカーで、キリンホールディングスがナショナルブランドの構築から、顧客の趣味嗜好に合わせた商品展開へと舵を切る重要度の高いM&Aとなります。しかし、アメリカの人権団体がニュー・ベルジャン・ブルーイングの社員に対して、買収を承認しないよう求めました。キリンホールディングスがミャンマーに進出する際、国軍系企業と合弁会社を設立したためです。
その結果、キリンホールディングスは2020年11月にミャンマーの合弁事業からすべての配当金の支払いを停止することを決定。撤退へと駒を進めます。2022年6月末には保有する合弁会社の株式すべてを売却する方針です。
ミャンマー事業の合弁解消に向けた当社の撤退方針の決定について
ミャンマーへの進出は日本として官民総出で突き進んだ面があり、情勢の急激な変化は予想できるものではありませんでした。キリンホールディングスは不運だったと言うほかありません。
今後はビールを軸に海外攻略を進めつつ、事業領域を拡大しようとしています。中核にあるのが「ヘルスサイエンス領域」です。その事業を担うのが、2007年10月にTOBを仕掛けて子会社化した協和発酵工業(現:協和キリン)と、2019年2月に95%の株式を取得した協和発酵バイオ。キリンホールディングスは食から医への更なる事業領域拡大を計画しています。
取材・文/不破 聡