〈いまから二十年か三十年か四十年くらいまえ、ぼくがまだほんの子供だったときのこと、小さな田舎町に住んでいたぼくはミセス・ニュージェントにやったことが原因で町のやつらに追われていた〉そんな一文から始まるパトリック・マッケイブの『ブッチャー・ボーイ』の語り手は、精神病院に収容されているフランシー・ブレイディーという中年男です。
3つの希望が失われ、彼はやがて……
物語の舞台は、フランシーが子供だった1960年代初頭のアイルランドの田舎町。かつては腕利きのトランペッターとして有名だったのに攻撃的な飲んだくれになり果てた父親と、精神が不安定で時々〈修理工場〉(=精神病院)に入院させられてしまう母親のもとにあっても、フランシーは親友のジョーと愉快な毎日を送っていました。そんな日々に陰りが差すようになったのは、フィリップ・ニュージェントが転校してきてから。それまでロンドンで暮らしていたものの、この町出身の両親と一緒に帰ってきたフィリップはコミックブックをたくさん持っていて、フランシーはそれを巻き上げてしまったんです。怒ったミセス・ニュージェントが発したのは〈あんたらはブタよ〉という罵声。それはフランシーにかけられた呪いとなって、以降、物語の中に響き続けることになります。
ロンドンで働いている自慢のアロおじさんが帰ってきたクリスマスに、父親からおじさんが向こうで出世を遂げているなんて嘘だという真実を告げられ、傷心から家出。帰ってきたら母親は自殺していて、フランシーは自分と母に放たれた〈あんたらはブタよ〉という呪いに導かれるように、ニュージェント家に忍び込んでしまうんです。家を荒らし、ウンコをたっぷり残す事件を起こしたせいで、不良少年が収容される矯正職業学校に送られて以降は転落の一途。施設で神父から性的虐待を受け、そこを出て大好きなジョーに会いに行っても居留守を使われてしまう。中学生になったジョーはフィリップと仲良くなっていて、小学校も卒業しないまま肉屋で働くようになったフランシーは、親友の気をひくためにプレゼントを買って待ち伏せするのですが──。
フランシーに見舞う、あるいはフランシーが引き起こす不幸は、これで終わったりはしません。彼の行く末には凄惨な殺人事件が待ちうけています。貧しい我が家の唯一の自慢だったネロおじさん、ものごころついて以来仲良くしているところを見たことがない両親の幸福に包まれていた新婚旅行のエピソード、大好きな大好きな大好きなジョー。フランシーのたった3つの希望がひとつひとつ失われていくさまが、子供の頃の精神レベルのまま大人になった彼の前のめりな語り口で描かれていく。回想は時系列どおりには並ばず、不安定な心を象徴するかのようにあちらこちらに飛び、物語は狂気と正気、妄想と現実を両輪につけて疾走する。差別を内在化した社会の恐ろしさ、孤独が生み出す悲劇が読み進めるほどに痛みとなって胸を突いてくる小説なんです。フランシーは21世紀にも存在する。30年前に書かれたとは思えない、今を突き刺す小説なんです。
『ブッチャー・ボーイ』
著/パトリック・マッケイブ 訳/矢口 誠
国書刊行会 2640円
豊﨑由美
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文/編集部