
過去の経験から得た“教訓”を活用できる場合があるし、生かせないケースもある。今検討中の問題はそのどちらになるだろうか――。
個人的なキャッシュレス化について考えながら街を歩く
過去に体験した“おいしい思い”は折に触れてまた味わってみたくなるものだ。しかしそこには落とし穴もある。毎回同じパターンが通用する保証はどこにもないからだ。
東京メトロ東西線を落合駅で降りて歩くことにした。早稲田通りを高田馬場方面へと進む。徐々に日が長くなっていて午後5時を過ぎても外はまだ夕暮れ前だ。とはいえあと30分もすれば次第に暗くなってくるのだろう。
界隈はほぼ住宅街なのだが、通りには飲食店が点在している。近隣在住の人々ご用達のお店ということなるだろう。今日は昼食を食べ損ねているので、どこかで遅過ぎる昼食にしてみてもよい。今食べてしまえばもう夕食は食べられないが、夜遅くにアルコールと酒の肴を少しつまむくらいでよしとしたい。
郵便局の前を通り過ぎると通りの反対側にそば屋があるのを認めるが、今はそばという気分でもない。先へ進むことにする。探そうと意欲していると思うように見つからないのはいかにもありそうな話だ。
飲食店といえば昨今ではキャッシュレス化が着実に進んでいるのが興味深い。個人経営の小さな店でも交通系電子マネーが使えたり某スマホ決済ができたりするのは珍しくないようである。やはりスマホ決済が普及したことが大きいのだろう。
社会のキャッシュレス化が進んでいるのだが、個人的にはこれまで染みついてきた習慣からまだどうしても現金を使いがちである。であればいっそのことサイフをおもいっきりスリムなものに買い替えて、ある意味で強制的に現金をあまり持ち歩けないようにしてしまったほうがよさそうにも思えてくる。
サイフというよりも薄いパスケースのようなものに、スイカ(Suica)とクレジットカード、ポイントカード2枚、免許証、保険証に加えて、折り畳んだ紙幣を数枚入れておくだけにする案もよさそうだ。これならちょっとした外出であればバッグを持たずに手ぶらで移動できるだろう。そうと決まればさっそく今夜にでもネットでパスケースを見てみてもよい。
信号待ちをして通りをさらに進む。反対側に今度はラーメン屋が見えてくるが、そばと同じくラーメンにも今は食指が動かない。このまま高田馬場まで歩いてしまってもいいので、早合点せずに進んでいきたい。
ともあれこうした時代を迎えることには感慨深いものがある。高価なブランドもののサイフを“一生もの”として買っていなくてくれぐれもよかったと思う。これから買うパスケースにしても、高級牛革製の高いものではなく、とりあえずはシンプルで安価なものを選んだほうがいいだろう。子どもの頃にパスケースを持っていたことはあったと思うが、大人になってから意識的にパスケースを買うのは初めてのことになる。間違っても“一生もの”を選ぼうとしないようにしたい。
“一生もの”とまではいかないにせよ、個人的にも末長く使おうとして購入したものはいくつかある。しかしそれは残念ながらあまりいい思い出にはなっていない。例えばある程度高価な革ジャンを買って冬の間の普段着やバイクに乗る際に着ていた時期があったのだが、バイクで着用しているとどうしても汚れてくるのでだんだんメンテナンスが面倒になってきてしまい、その後にジッパーが壊れてしまったことを機に処分したことがある。ジッパーを付け替えることもできたのだろうが、着たい気持ちが完全に失せてしまったのだ。
あるいは鉄のフライパンもまた後悔が残るものになってしまった。フッ素加工のフライパンは使っているうちに徐々に劣化していくことは避けられないので一時期、鉄のフライパンを購入して使ってみたことがある。しかしこれも手入れを欠かすことはできず、油断していると錆びてきたりするので次第に手に負えなくなってきてしまい、結局手放したことがある。1、2年間隔でフッ素加工のフライパンを買い替えていたほうが労力を考えれば楽という判断になって現在に至っている次第だ。もちろんこれには異論もあるだろう。
過去の苦い失敗体験を考慮に入れるか入れないか
長く人生を続けていれば、「失敗した買い物」が1つや2つで済むはずもないだろう。そして失敗しようがしまいが、大多数は今後も新たに買い物を続けていかなくてはならない。
新たな購買行動において我々は「失敗した買い物」を“教訓”にしてよりよい意思決定を行おうとする場合もあれば、まったく先入観を持たずに判断する場合もあるだろう。最新の研究では、我々が過去の体験を“教訓”にして意思決定を行う際には脳活動の独特のパターンが見られることが報告されていて興味深い。
エピソード記憶における役割でよく知られている海馬は、将来の決定を導くために私たちの経験から構造を抽出するための重要な脳領域でもあるかもしれません。
齧歯類における最近の研究結果は、海馬が眼窩前頭皮質(OFC)と協力してタスク構造を表すことによって意思決定をサポートすることを示唆しています。
ここでは人間の海馬とOFCが、コンテキスト決定とコンテキスト不変の確率的関連の両方の学習を必要とする連想学習タスク中に、タスク構造をどのように表すかを調べます。
学習後、海馬と側方OFCの脳活動の表現は、コンテキストによって決定されるタスク構造とコンテキスト不変のタスク構造の間で区別されていることがわかります。
※「Cell Reports」より引用
スイス・チューリッヒ大学をはじめとする合同研究チームが2021年11月に「Cell Reports」に発表した研究では、実験を通じて過去の体験に依存する意思決定には独特の脳活動があることを報告している。過去の“教訓”を考慮に入れた意思決定とそうではない意思決定では脳の海馬と眼窩前頭皮質(OFC)の活動のパターンが違ってくるというのである。
たとえば地元にいくつかあるスーパーマーケットでオレンジを買おうとする際に、過去の体験からあの店ではオレンジを買わない方がいいという“教訓”を持っていたとする。このオレンジは過去の体験に裏付けされた「コンテキスト依存(context-dependent)」の商品である。そこには過去の苦い体験という“物語”があるのだ。
一方で、そのような経験がなかったり、初めて入る店でオレンジを購入する場合、特にそうした“教訓”はないため一般的なオレンジを前提にして実物を目にすることになる。そしてこのオレンジは「非コンテキスト依存(context-independent)」の品物になる。つまり偏見のない目でこのオレンジを見ているのだ。
22人が参加した実験では、脳活動をfMRIでモニターしながらこの「コンテキスト依存」の商品と「非コンテキスト依存」の商品を評価した。こうして収集したデータを分析した結果、参加者は「コンテキスト依存」と「非コンテキスト依存」をうまく区別しており、この2つのカテゴリーの商品を評価する際に海馬と外側眼窩前頭皮質の脳活動パターンが異なっていることが突き止められたのだ。
では自分がこれから買おうとしているパスケースは「コンテキスト依存」の商品なのか、それとも「非コンテキスト依存」の品物なのだろうか。“一生もの”を求めて失敗した苦い体験を繰り返すまいと考えている時点で、過去の“教訓”を考慮に入れた「コンテキスト依存」の商品として自分はパスケースを見ていることになる。もちろんそれが正しいのか正しくないのかについてはまた別の話にはなるのだが……。
ボリュームたっぷりの焼肉定食を存分に堪能する
通りを進む。すでに中華料理店やさぬきうどんの店などの前を素通りしていた。神田川を跨る橋を越えると通りは広い交差点にさしかかる。周囲にはスーパーやドラッグストアと共にいくつかの飲食店もある。夕食の買出しの時間帯ということもありそれなりの人出だ。徐々に周囲は薄暗くなってきていた。
やや複雑な交差点で、直進すれば諏訪通りか小滝橋通りのどちらかを進むことになるのだが、左に曲がって早稲田通りを進むことにする。3本の大通りが変則的に繋がっている交差点なのでタイミングが悪いと信号待ちが長くなるようだ。
ようやく信号が変わり通りを進む。進行方向右側の通り沿いに「焼肉定食」の看板を掲げた店が見え、その文字に食指が動く。通りに面してガラス張りなので店内の様子がよくわかる。そのせいで初見の1人客も入りやすいといえそうだ。入ってみるしかない。
細長いカウンターだけの店内で、最初に券売機で食券を購入するシステムだ。千円札を投入して寸分の迷いもなく「焼肉定食」のボタンを押す。券売機の左上のボタンが最もお勧めのメニューなのだとすれば、それは看板にも並記してあった「南ばん麺」で、その次が「焼肉定食」ということになる。カウンターの右端の席に着かせていただき、お店の人に食券を渡す。
料理を待っている間にも次々とお客が来店してくる。地元の人気店であることは間違いない。お店の人と親しげに話している常連のお客もいる。
トレーに乗せられた焼肉定食がやって来た。想定以上のボリュームだ。普通のお店の1.5人前以上はあるだろう。肉も多いがキャベツの千切りやレタスなどの生野菜も山盛りだ。
中華スープをレンゲでひと口啜ってから焼肉を頬張る。コクがあって噛み応えがあり、すぐにご飯で追いかける。夜に焼肉を食べる時はアルコールだけでご飯は食べないほうだが、焼肉定食は違う。肉よりもむしろご飯のほうが主役であるとさえ思えてくる。ご飯を美味しく食べるためのメニューといっても過言ではないだろう。
この店に入ったのは看板の「焼肉定食」の文字に魅かれてのことではあったが、過去の焼肉定食体験、つまり「コンテキスト依存」に照らし合わせた場合、何か思いつくことがあるだろうか。
……それはこの見事な付け合わせの生野菜だ。付け合わせのキャベツの千切りが新鮮でしっかり量がある店の焼肉定食やしょうが焼き定食は美味しいという過去の体験に基づく持論らしきものはあった。この店でもそれは当てはまっているのだ。とすれば今、自分はこの焼肉定食を「コンテキスト依存」のものとして見ていることになる。
外国の料理など、初めて食べるメニューにはもちろん新鮮な楽しみがあるが、これまでいろんな店で食べてきた定番の料理を深掘りしていくこともまた面白い。これからも機会を見つけていろんな焼肉定食を食べてみたいものだ。
文/仲田しんじ