
自販機のボタンを押そうとして思いとどまった——。ビタミンCを摂りたいのはやまやまなのだが、宙に浮いた手をもう少し伸ばして別のボタンを押す。そして我ながらその選択は正しいと思えた。
誤った選択と正しい選択について考えながら早稲田通りを歩く
ドラッグストアの前を通りかかると、そういえば近いうちに買わなければならないものがあったことを思い出す。
自宅ではボトルから泡で出るタイプのハンドソープを使っているのだが、先日にスーパーで詰め替え用のハンドソープをあまりよく見ないで買ったところ、迂闊にも同じ銘柄ではあるが泡にはならない普通の液体ハンドソープだったのだ。
この普通の液体ソープを泡で出るボトルに入れても泡で出ないばかりか、ボトルの故障にも繋がるようで厳に戒められていることを注意書きで知った。
誤って買ってしまったこの液体ソープを捨てるのも忍びないので、近いうちにボトルに入った液体ソープをもう1つ買い足す心づもりでいたのだ。そして今、このことを思い出したのだが急ぐことでもないので、今ここでドラッグストアに入って買い求める気にはなれない。そのうち何かのついでに買うことにしよう。あるいは100円ショップなどでプッシュ式の小さいボトル容器が売っているかもしれない。
某所からの帰路、東京メトロ東西線を早稲田駅で降りて早稲田通りを歩いていた。午後2時を過ぎたところで、街は冬の快晴の空に覆われている。帰宅する前にどこかで遅い昼食にしてもよいのだろう。
液体ソープの件といい、時間に追われて「急いては事を仕損じる」ことがないようにしたいものだが、不思議なことに時間がなくとも正しいと思える判断ができるケースもある。
ここに来る前、喉が渇いていたこともありドリンクの自販機で何か飲み物を買うことにしたのだが、せっかく何か飲むなら栄養のあるものを飲みたいと思い、某ビタミンCドリンクのボタンに手を伸ばした。しかしこの時、何か“モヤッ”とした感情が湧き起り、伸ばした手を止めて少し迷った末にボトルウォーターのボタンを押したのだ。
なぜ“モヤッ”とした感情が湧いてきたのか、思い当たるふしはないかと少し考えてみたのだが、そういえばかつて何かの記事で読んだのだが、最初に選ぼうとしたビタミンCドリンクにはけっこう砂糖が含まれていることを思い出した。もちろん糖分はあまり摂りたくない。ボトルウォーターを選んだ時点ではこうしたことを明確には意識してはいなかったが、結果的に自分は正しいと思える判断をしたことになる。
早稲田通りを高田馬場方面に進む。平日の午後で人通りも多い。道の反対側にはラーメン店やサンドイッチ店、ハンバーガーチェーン店、中華チェーン店などが立ち並んでいる。部屋に戻ってからの作業もあるのでそれほどゆっくりはしていられない。どこか食指が動く店があれば迷うことなく入ることにしよう。「地下鉄早稲田駅前」の交差点にさしかかり、右に曲がることにした。
自信に満ちた決断の裏付けになるものとは?
「早稲田駅前商店会」と記された掲示板が街灯に架かっているこの通りも案外飲食店が多い。当然ながらその多くは学生ご用達の店なのだろう。
ドリンク選びではできた正しい判断が、ハンドソープ選びではできなかったことになる。つまり誤ったハンドソープを手に取った時に“モヤッ”とした感情は湧き上がってこなかったのだ。この違いはいったいどこからくるものなのか。
最新の研究では我々が過去に可能な限り注意深く選択肢を比較検証したことがある場合、関連する選択において正しいと思える判断ができることが示されていて興味深い。そしてこの能力は誤った判断をしそうになった時に疑問を生じさせて意思決定を修正する機能も果たしているということだ。
直感的に正しいと感じる決定もあれば、疑わしいと感じさせ、最初の選択を修正する可能性さえある決定もあります。しかし、この気持ちはどこから来るのでしょうか?
ラファエル・ポラニア教授を中心にしたチューリッヒ工科大学とチューリッヒ大学の研究者チームが初めてこの質問を体系的に調査しました。論文著者は実験データを使用して、個人がさまざまなオプションから選択する方法と、その後、自分が下した決定に自信を持ったり疑わしいと感じる理由を予測できるコンピューターモデルを開発しました。
「私たちのモデルを使用して、さまざまなオプションを検討することに多大な注意を払い、そうすることを意識した場合、決定が正しいと感じる可能性が最も高いことを示しました」
※「ETH Zurich」より引用
スイスのチューリッヒ工科大学(ETH Zurich)とチューリッヒ大学の合同研究チームが2021年12月に「Nature Communications」で発表した研究では、実験を通じて人々が意思決定において自信を持った判断ができるメカニズムを解き明かしている。そしてこれは誤った判断をしそうになった時には疑念を生じさせて修正に導くものであるという。
35人が参加した実験の1つでは、「ドーナツとリンゴ」または「ピザと洋ナシ」などの2つ食品がペアで示された一連の写真が見せられ、どちらを選択して実際に食べるのか、そしてその選択にどの程度自信を持っているのかを評価することが求められた。
研究者チームはこの評価段階と意思決定段階の両方でアイスキャナーを使用して、参加者が2つの食品のいずれかを見るのにどの程度時間をかけたか、視線が左から右に移動する頻度、および意思決定の速さを測定した。
時間をかけて常に両方の選択肢を視野に入れている者は、高い注意力を持って検討したと見なされ、逆に一方の選択肢だけに固執し、もう一方の選択肢を無視する傾向がある者は低い注意力で意思決定を行ったと見なされた。
収集したデータを分析した結果、高い注意力を持って検討した者ほど、その判断に自信を持っていることが浮き彫りになった。また高い注意力を持って検討した者は、誤った判断に疑問を投げかけて修正する能力も醸成させていたのだ。そして研究チームはこの能力を「内省(introspection)」と定義している。
ドリンク選びにおいて自分はビタミンCドリンクの砂糖量についての知識があったためうまく“内省”できていて、誤った判断に疑問を生じさせ“モヤッ”とした感情を湧かせることができたといえそうだ。一方、ハンドソープについては今まで一度も検討したことがなく“内省”ができていなかったため、疑問を抱くことすらできなかったということになる。
レトロな食堂でもっちり系チャーハンを堪能する
通りを進む。カレー店に焼肉屋、そばうどん店、韓国料理店とよりどりみどりである。焼肉屋のランチメニューは破格の値段で、学生ご用達の店であることは明らかだ。焼肉ランチもいいのだが今はそれほど食指が動かない。
ひと目で老舗であることがわかるレトロ感溢れる食堂が見えてきた。看板には店名に並んで「軽食&ラーメン」とある。店頭のガラスケースに陳列された料理サンプルもまた“昭和感”を醸し出している。焼肉にそれほど魅かれなかった今の腹具合なら“軽食”でいいのだろう。入ってみよう。
店内もまた実に年季が入った佇まいだ。小さいテーブルは満席で大きいテーブルに案内される。相席が前提ということになるのだろう。
壁に架かっているメニューボードを見ると、ポークライスとオムライスに「売り切れ」の紙が貼られている。ラーメンや五目そばなどの麺類はすべて注文が可能だが、ご飯ものを頼むとすればチャーハンかドライカレーの2択になる。ならばここはチャーハンだ。
チャーハンと心の中で決めても、特に“モヤッ”とした感情は湧き上がってこないし、その選択にも自信が持てた。何の問題もないということだろう。さっそくお店の人にチャーハンをお願いする。もちろんドライカレーが嫌いということではない。次に来た時には検討してみたい。
チャーハンがやってきた。炒められたご飯はほんのりした淡い色合いで、細長く切った薄い卵焼きとサヤエンドウ、カマボコが上に盛りつけられている。
金属製のレンゲですくってさっそくひと口食べてみる。もっちりとした食感で噛み応えがあって美味しい。咀嚼する時間が自然に長くなってしまう。パラパラしたチャーハンも好きだが、これはこれでいい感じである。塩とコショーだけのシンプルな味付けもいい。
この店では一番大きな6人掛けのテーブルの一角に座っているわけだが、案の定というべきか、新たなお客がやってきて相席となる。しかし対角線上の席なのでまったく気にはならない。
相席になったのはおそらく大学生であろう若い女性だったのだが、売り切れに気づかずにオムライスを注文するもお店の人に指摘されて変更を余儀なくされていた。その後女性は少し考えた末にチャーシューメンを注文した。オムライスのオルタナティブとしてのチャーシューメンというのはやや意外だ。
もちろん何を頼もうが自由なのだが、この女性がこの店を何度も訪れていることは明らかだった。今日はオムライスを食べるつもりで店に入ったのだろうがこの店での好物はほかにもあって、その1つがチャーシューメンということなのだろう。決してオムライスの“代替物”ではなさそうだ。
しばらくして女性のもとに運ばれてきたチャーシューメンは確かに美味しそうだった。しかしそのぶん、この女性が今日はこれよりも食べたかったのであろうオムライスも気になる。やはり次にこの店に来たときはオムライスということになるだろう。その時には売り切れていないことを願いたいものだが、まぁそれならそれでどのメニューも美味しそうなので問題はない。何を選んでも“モヤッ”としてくることはなさそうだ。
文/仲田しんじ