
働き盛りの世代が知っておくべき健康寿命を延ばす術を紹介する「忍び寄る身近な病たち」シリーズ。今回はジェネリック医薬品を取り上げる。
「ジェネリック医薬品とは新薬(先発薬)の特許が切れたあとに、新薬と同じ有効成分で作られる安価な医薬品のことです」と解説するのは今回、レクチャーをお願いした武藤正樹先生だ。武藤先生はジェネリック医薬品・バイオシミラー学会代表理事、日本医療伝道会衣笠病院グループ相談役である。
医療費増大への悩みは日本ばかりでなく、各国共通の課題である。先生は医療計画見直し等検討会座長や政府委員を歴任し、我が国のジェネリック薬品(以下・ジェネリック、あるいは後発薬品)の草創期からその普及に尽力してきた。
現在、特許切れの処方薬のうち、約8割がジェネリックに置き換わっている現状への認識。そして昨今相次ぐジェネリック医薬品メーカーの信頼が失墜する不祥事の原因と警鐘。そして改善への厳しい助言を2回にわたり紹介する。
武藤正樹氏
日本ジェネリック医薬品・バイオシミラー学会代表理事 前国際医療福祉大学教授 日本医療伝道会衣笠病院グループ相談役 よこすか地域包括ケア推進センター長
潤沢な医薬品は安全保障を意味する
武藤先生とジェネリックとの出会いは、20数年前に遡る。アジア通貨危機が東南アジアを襲った1998年、通貨危機が医薬品の流通に与えた影響を調査するため、先生はインドネシアを訪れた。
「当時、インドネシアにはジェネリックを製造する半官半民の公社が3社あって。インドネシア政府はジェネリックの普及を強力に推し進めていた。目を見張る思いでした。通貨危機で物価が高騰しても、持続的に人口2億人以上の全インドネシア国民に医薬品を供給する。そのためには輸入品に頼らず、自国で作る安価なジェリックが欠かせない。インドネシア政府のそんな方針に、後発薬品の価値を実感したんです」
潤沢な医薬品の供給は命に直結し、国民の安全を保障する意味も持つ。武藤先生は昭和24年生まれ。武藤先生たちいわゆる団塊世代、およそ700万人が高齢化を迎えた時、医療費の増大は火を見るよりも明らかだった。
「安価なジェネリックの普及は待ったなしだと、自分事として考えられたのです」
現在、医師の処方せんがないと購入できない医療用医薬品はおよそ4万種類。そのうち特許が切れたものは約3万種だが、その約80%がジェネリックに置き代わっている。つまり患者に処方される特許切れの医薬品のうち、約80%がジェネリックというわけだ。
――先生が興味を持たれた90年代末、日本の医療関係者にジェネリックは、どんな見方をされていたのでしょうか。
「医者や薬剤師の多くはジェネリックが大嫌い。その数は減ったとはいえ今もそうですよ」
その理由を挙げると、「ジェネリック(後発品)は先発品と同じと言われているが、値段が違うのに同じなはずがないだろう。品質に疑問がある。果たして先発品と同じ効果が得られるのか」「ジェネリックの製薬メーカーから、薬についての正確で十分な情報を得ることができるのか」「薬の安定供給ができるのか」「中国で生産しているのか?生産場所が明らかにされてないじゃないか」、薬剤師からは「なんでマージンが薄いジェネリックを取りそろえなければいけないのか」などの意見もあった。
“ゾロ品”は生まれ変わったか?
「我が家では、開業医の娘である家内がアンチジェネリック派で、“父は絶対にゾロなんか使わなかった。ゾロなんか広めて何になるの!”という感じでした」
――「ゾロ」とは何ですか?
「後発医薬品のことです。先発医薬品の特許が切れると、ゾロゾロ出てくるから、そんな蔑称で呼ばれていたんです」
90年代末ごろまでは、“ウサギを10頭使って試験した”というジェネリックの医薬品メーカーに厚労省の職員が査察に入ると、ウサギが1頭しかいなかったなんてこともあった。薬の濃度が血液中に移行するグラフが、先発薬のものとそっくり。提出されたグラフを別の紙にトレースして、先発薬のものと重ねてみるとぴったり一致した。試験をやらずに、先発品のデータを盗用していたことが明らかな事例もあった。
「でも、ゾロと呼ばれたのは90年代の末ごろまでです」
――97年にアメリカ並みの検査が義務付けられ、ジェネリック医薬品の水準が見違えるように上がったというわけですね。
「アメリカと同じように、有効成分が先発品と同じなのだから、後発品の承認には臨床試験を省いていい。その代わり、同じ条件下で長期に保存し規格から外れることがないかを観察する安定性試験。消化管内と同じような条件の試験管内で、有効成分の溶出パターンをみる溶出試験。健常人20名のボランティアを使い、先発医薬品と後発医薬品を交互に投与し、有効成分の血中濃度の推移パターンが、同じであることを証明する試験等が、義務化されました。
さらに、1997年以前に販売されたジェネリック4264品目に関して再評価が行われ、359品目を不適合として除外した。今世紀に入ってからのジェネリックは、ゾロ品とはまったく異なる医薬品に生まれ変わったといってもよいと、私は考えていたんです」
バイオ医薬品に乗り遅れた日本
武藤先生の著書、『ジェネリック医薬品の新たなロードマップ』(2016年刊行)から引用すると、例えば1500床ほどの大学付属病院で、ジェネリック医薬品の使用を60%達成すると、およそ1.5億円の増収になるという。あるいは広島県呉市の国保では、患者が服用薬をジェネリックに代えただけで、1カ月で4885円も安くなった例が紹介されている。
ちなみに病院の医薬品市場3兆7000億円のうち、抗がん剤が6250億円を占めている(2011年調べ)。がん患者の急増に伴い、抗がん剤市場は拡大傾向にある。
――化学合成で作られる低分子の抗がん剤の特許切れが始まっているので、安価なジェネリックの抗がん剤が市場に出ています。最近では遺伝子組み換えや細胞培養などのバイオテクノロジーで作られたバイオ薬品が増えてきました。バイオ薬品は薬価が飛びぬけて高額ですが、バイオ医薬品のジェネリックともいうべき“バイオシミラー(バイオ後続品)”の普及も、先生は著書の中で指摘していますね。
「確かにそうですが、日本はバイオ医薬品の開発が遅れています。バイオ医薬品の開発は1990年代に始まりましたが当時、日本の製薬メーカーは化学合成で作られる、低分子化合物の新薬で大儲けしていたので、バイオ医薬品への取り組みが遅れた。結果、バイオ医薬品は韓国や中国が市場を席巻しています。
日本の製薬会社ではバイオ医薬品や、バイオ後続品の開発が難しい。日本はバイオ後続品の開発に励むと共に、バイオ医薬品以外で、品質のいいジェネリックを作って頑張るしかないのです」
「結局、裏切られたんです」
武藤先生たちが、日本ジェネリック研究会を発展的に改組し、日本ジェネリック医薬品学会を立ち上げたのは2007年4月。学会としてジェネリック医薬品の情報提供や啓発活動に取り組んだ。国も医療費の増大に対抗すべく、2015年5月経済財政諮問会議において、「2018年から2020年末までのなるべく早い時期にジェネリック医薬品の数量シェア目標を80%以上」という方針をぶち上げる。
特許が切れた医薬品の80%が後発品に置き換われば、患者が服用する医薬品の半分以上はジェネリックになる。そうなった暁には年間1兆3000万円もの医薬品費の節約になる。
そして2020年、目標であるジェネリックの数量シェア80%をほぼ達成する。
「今日も僕が外来で診た患者さんに処方した医薬品は、ほとんどがジェネリックです」
医薬品費の大幅な節約は実現したのである。ところが――
昨年、今年と相次いで発覚した、ジェネリック医薬品メーカー最大手の日医工、そして小林化工の想像を絶する不祥事。
20年以上ジェネリックを応援し、その普及に尽力してきたが、
「結局、裏切られたんです。ジェネリックは信用できない。昔と変わらないゾロ品だったんですよ」
そう苦笑いを浮かべる医師、武藤秀樹氏の落胆は想像に余りある。
明日アップされる後編では、ジェネリック薬品の急速な普及の背景と、なぜ不祥事を起きたのか、その原因とジェネリック医薬品メーカーの実態。再発を防ぐために何をすべきか、明らかにしていきたい。
取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama