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「女(じぶん)の体をゆるすまで」の著者・ペス山ポピー氏が明かす、心の傷が癒えるまで10年かかった話

2021.08.31

『女(じぶん)の体をゆるすまで』下巻P36より

ペス山ポピーさんはエッセイマンガ『女(じぶん)の体をゆるすまで』の中で、自身がトランスジェンダー(Xジェンダー/ノンバイナリー)であることへの悩みや、過去に体験した壮絶なセクハラ・パワハラに向き合い続けたエピソードを描き、大きな話題を呼んでいる。

今回、小学館ノンフィクション大賞で注目を集めた、自分自身を取材したノンフィクション『男であれず、女になれない』著者の鈴木信平さんを聞き手に迎えて、男女に二極化しがちな社会、そしてパワハラやセクハラなど、やっと変わりつつある歪だった社会通念について語ってもらった。人によってはタブー視することもあり重たい話題にもなりがちだが、対談は和気あいあいとした雰囲気で行なわれ、喋りも喋って約2時間……その内容を、前後編でお送りする。

ぺス山ポピー/自身の性的嗜好と初恋を描いたエッセイ『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』(新潮社)、通称『ボコ恋』でデビュー。ジェンダー・エッセイコミック『女(じぶん)の体をゆるすまで』(小学館)の上下巻が2021年7月30日発売。

 

※こちらは前編です。後編へのリンクはこちら

女性でもなく男性でもない私たちの性

鈴木信平(以下、信平) ペス山さんの漫画を読む機会をいただいて、勉強になったというのが最初に出てきた感想です。あと、ペス山さんと私は全く同じ立場というわけではないですが、トランスジェンダーという大きな枠では、わかる部分がたくさんありました。

私は、女性性に憧れて生きてきたから、やっぱり女性のいいところしか見ていなかったと思う。でも、ペス山さんの漫画を読んで、女性性について私が気づいてなかった側面に気づけました。あとは、私はずっと体が男であることがしんどかったけど、男に生まれたからこそ、ペス山さんに降りかかってしまったセクハラやパワハラ的な辛さはなかった。私は、男性でありたくはなかったけれど、男性強者の社会を享受して育ってきたんだなってすごい実感しました。そういう点はすごく勉強になったなって思います。

鈴木信平/2016年、『男であれず、女になれない』で小学館ノンフィクション大賞の最終選考に選ばれる。翌2017年に同作を刊行。幼少期からの性の不一致に対する苦悩と、36歳で造膣せずに男性器を摘出する決断に至るまでの出来事を一冊にまとめた同作では、自身のセクシュアリティを「その他」と述べている。

ペス山ポピー(以下、ペス山) そう言っていただけて嬉しいです。ありがとうございます。

信平 社会通念っていう言葉が、前半でたくさん出てきますよね。この漫画は、性に違和感がある人だけではなく、おそらく世間的にセクシャルマイノリティと言われていないような方々が読んでも「えっ?」ってちゃんと躓けるところが沢山あると思います。そういう部分に私も気づけて勉強になったなっていう感想をもったんです。

ペス山さんご自身は、このエッセイを「自分の中での消化だ」と書かれていましたけど、こういう人に特に読んでもらいたいなっていう思いはあったんですか?

ペス山 おっしゃるように、第一が自分の中での消化でした。その次に来るのが「小さい頃の自分に向けて」です。その次くらいに……生きている人全員って言っていいんでしょうか。私が直面しているものは、社会問題だと思っているんです。性に対する問題だけではなく、無意識に人を傷つけている行為があるとか、なにかしらポイントで気づいてもらえるきっかけになれば嬉しいな、と思っています。

信平 書店でLGBTQの棚にぽんっと並べて置いてほしいという感じではないっていうことですかね?

ペス山 そうですね。いろんなジェンダーの人と一緒に生きているし、その人たちに向けて出しているので。

信平 ペス山さんからの強い言葉だなって心に響いたシーンがあって、上巻の92ページのスカートめくりのくだりで「私の人格と体が他人の楽しみのために勝手に使われた。魂がコケにされた」ってところ。つまり、合意許諾がない状態ってことですよね。スカートめくりって私の子どもの頃にもあったんです。でも、ペス山さんの言葉のような感覚で日常の中にあったものではない意識だった。

描くときにどういう感覚でこの言葉を選ばれたのかなって私なりに想像してみました。ここに、アイデンティティとはまた別の、女性の体として生まれた叫びが籠っているように感じたんです。ここについて、しっかり考えて、お話したいなって。

小学校時代の同級生・ポテトとは、この後に大きな事件があり”友達”のままではいられなくなった(『女(じぶん)の体をゆるすまで』上巻PP92-93より)

ペス山 そこのセリフはずっとぐるぐる頭の中で考えていたのを覚えていますね。時代かもしれませんが、スカートめくりという行為がギャグ要素だった。

スカートめくりをやられて私は心が引きちぎられるくらい痛かったのに、社会はびっくりするほど軽くとらえていた。私が恥ずかしいとか、私個人だけの話じゃなくて、人の心を踏みにじる、いかに悪質な行為なのかというのを込めたかった。この行為がどれだけ重大なことかというのをなんとか届けたくて、考えて考えて絞り出したワードです。

信平 スカートめくりをしてキャッキャと過ごした人が多い中で、こういう行為が人の心を踏みにじるものだっていう感情はいつ頃からペス山さんの中に芽生えていたんですか。

ペス山 私、スカートめくりをやられた瞬間に相手を殴っちゃっているんですよね。当時小1でしたが、絶対に許さないというのを態度で示そうとした。

そういえば、私がそれでとんでもない反応したから、その日からクラスでスカートめくりが無くなったんですよね。

信平 大貢献ですね。

ペス山 貢献したなって思うのと同時に、なんで今まで私くらいの反応を誰もしてくれなかったのかなとも思いました。みんなが私くらい怒ってくれていれば、私もあんな目にあわなかったのにという理不尽な怒りもあったんです。

信平 このスカートめくりみたいな性に直結する行為の心の痛みというのは、ご自身の性自認が落ち着かない体でいるからこそ、より痛みが付加されたんでしょうか。

ペス山 それはどう答えればいいか難しいですね。私がトランスだからとかジェンダーとかに不安定な時期だったから、特に嫌だったのかはわからないです。性的違和のない女性でも、性被害を受けたときの苦しみは当然あると思いますので。

信平 つまり、女性の体として生まれた人全員が背負っているもの、ということですか。

ペス山 そうですね。スカートめくりという遊びの中に隠された悪意を、喝破できるかできないかでしかないのかなって思うんです。やられた瞬間に、遊びって認識でとめる人ととめない人がいる。私は遊びっていう認識ではとまらずに、相手の悪意にいち早く気づけたから怒ることができたのかなとも思います。

でも、それが作中に出てくる友人のゼラチンのいう、私が繊細過ぎるというところなのかもしれないし、トランスジェンダーだからなのかもわからない。だから、ここは答えるのがすごく難しいなと思います。うまく答えられなくてすみません。

高校時代の友人・ゼラチンと大人になってあらためて語り合い、互いが感じた痛みを整理していく(『女(じぶん)の体をゆるすまで』下巻P72より)

信平 そっか。自分の性自認が不安定だったからとかではなく、ペス山さんご自身がそういう行為が本気で嫌で、相手に対して悪意のある行動だと瞬間的に受け止めたという感じだったんですね。

ペス山 私、そのとき相手を「殺しても足りない」って思ったんですよね。それくらい怒っていたっていうのは事実ですね。

信平 私は、解決はしないけど、「自分なりの決着をつける」みたいなことをちょくちょくいろんなところで言っているんです。ペス山さんに対して繊細だって言うシーンでゼラチンさんは、自分自身のことを「繊細じゃない」ということで自分なりのなにかに決着をつけて、ペス山さんは繊細であることにきっちり向き合うことで決着をつけている。また別の話ですが、私は私なりの捉え方で決着をつけていっているし、それぞれ生きているのかなって思います。

心の傷をひとつひとつ紐解いていくのに10年かかった

信平 ペス山さんのように、トランスジェンダーの部分を持ちながら、体の女性性が社会的に消費や搾取の対象とされていくという2つの事柄は、距離がちょっと離れていると思うんです。でも、離れている事柄を自分という1つの体の中に入れていかないといけなくて、そんな中問題が次々と向かってくるってどんなに大変だったんだろうかと思いました。

漫画の後半の方で、起こった事象に対して、それとこれとは別の話だったとひとつひとつ整理していくところが出てくるんですが、分けて考えるのはやはり大変でしたか?

精神科ではなく、あえてカウンセラーに相談することで、過去の自分と正面から向き合っていく(『女(じぶん)の体をゆるすまで』下巻PP92-93より)

ペス山 一番はそこなんですよね。性差別が普通にある社会であるということと、私がトランスだという性自認の話は別のものです。

当時は、いろいろな事象がいくつも複雑に絡み合っていたことに気づいてなかったし、ひとつひとつに対して考えることがとても苦しくて怒りを覚えていたので、なにもかもに嫌になっていた。それを分離していかないといけなかったからとても大変でしたね。今29歳ですが、ようやく分離できてきたという感じなんです。わかりやすいエピソードだと「ババ抜き事件」っていうのがあったんです。

信平 学生の頃ですか?

ペス山 高校生の時ですね。美術部の合宿で、女子部員5人、男子部員2人で参加していました。合宿って、夜になるとトランプとかゲームして罰ゲームみたいなことをするのがあるあるだと思うんです。負けた人は3着ある衣装の中でどれか1つを着て写真を撮るというルールでした。選択肢は、赤ずきんちゃんの衣装、全身緑の蛙タイツ、ピンクのフリフリメイド服でした。私、蛙だったら着てもいいなと思っていて、選べると思ったから参加したんです。

その日、すごく運が良くて、何回やってもババ抜きに勝ち続けたんです。すると、変な空気になったんですよ。おそらくですが、女子の中で「ペス山にピンクのフリフリ着せよう」ってなっていて、でも着させられないから、ちょっとイライラしてたんじゃないかなと。そんな空気を感じて、私もババ抜きに飽きてきたし「面倒くさいしもうやめない? 蛙着るつもりだから面白くもなんともないよ」って言ったんです。すると「いや、ペス山にピンク着せるから」ってなったんです。

信平 なるほど……。

ペス山 あ、誤解がないように言っておきたいのですが、仲は良かったんですよ。少なくとも嫌われてはいなかったはず……。絵の交換なんかをしたりして、仲良くしていたんです。でも、そのときに私は「ピンク着せられるのか、うわぁ……」ってなって、心が諦めモードに入ったんです。自分のプライドを守るために、ピンクをもし着せられてもスンってしてようって決めました。

この「ババ抜き事件」も、ピンクのフリフリがなぜ嫌かというところかなと思うんです。ピンクのフリフリ自体が悪いものではないですよね。着たければ着ればいいし、私がトランスだろうがなんだろうが、着ればいいんです。でも、その場にあったピンクのフリフリは、私を辱めるために着せられようとしていたから嫌なんです。ピンクのフリフリが嫌なのではなく、ピンクのフリフリを使って辱めようとしてくる女子達の視線が嫌だった。この単体のピンクのフリフリから、辱めようとする視線という悪意を引き離すということが長らくできなくて、10年近くかかりました。

信平 他者からの性を利用した悪意の部分と、単体のピンクのフリフリが嫌だという部分がごちゃまぜになっていたということですね。

ペス山 はい。今までは、ピンクのフリフリそのものが悪意みたいに思っていたし、女性が目の前に現れたらなにか悪意をぶつけられるって正直身構えていたんです。でも女性みんなが悪意を持っているなんてありえなくて。優しい人も多いですから。

信平 だいたい優しいですよね。だいたいですけど(笑)

ペス山 優しい人はいっぱいいる。でも、高校生の時の私は勝手に相手をめちゃくちゃ嫌いになって、そこから完全にLGBTQっぽくない人を私生活から完全に排除しちゃって、付き合う人に偏りがうまれました。すると、男性にも女性にもより偏見が深まっていってしまいました。

※後編へのリンクはこちら

取材・文/田村菜津季

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