
お腹が“ゆるく”なる可能性があるとすれば、やはり今はやめておこうか……。ガムの話だ。朝のコンビニで余計なものを買ってしまったと少し後悔する。
5月の快晴の昼下がり「地蔵通り商店街」に足を踏み入れる
文京区某所での用件を終えた後、東京メトロ江戸川橋駅界隈を歩いていた。5月の快晴の昼下がり、直帰するのがもったいなくて少し辺りを散策したいと思った。どこかで何を食べてもよいのだろう。
ジャケットのポケットにはミントタブレットのケースのほかに、ガムの包みも入っていた。今朝、コンビニでミントタブレットを買う際に軽い気持ちで“ついで買い”したものだった。
久しぶりにこのキシリトールのガムを買ったのだが、忘れていたことがあった。それはお腹が“ゆるく”なる可能性だ。もちろん前から知ってはいたが久しぶりのことで完全に失念していた。ガムのパッケージにはきわめて小さい文字列でその旨が記されている。
もちろんこのガムを2、3個口に頬張って噛んだところで急にお腹の具合が悪くなることはあり得ないが、可能性がゼロではないとすれば今は止めておいたほうがいいのかもしれない。ガムの包みをポケットに戻し、代わりにミントタブレットのケースを取り出し、手のひらに振り出した2粒を口に放り込む。
江戸川橋交差点から江戸川橋通りを南下する。昼休みで昼食に向かう手ぶらの人たちの姿もけっこう見かける。この一帯は中小の印刷所や製本所なども多い。
それにしてもお腹が“ゆるく”なるという表現はななかな上品だ。普段の会話ではまず使うことはないだろう。もちろん、直接的表現をするよりも商品に記す際にはこうした表現のほうが穏便で相応しいといえそうだ。
特に目的もなく歩いていると、左手に商店街の入り口が現れた。入り口のアーチには「地蔵通り商店街」と記されている。その名前の由来であることは間違いないお地蔵さんを祭った小さなお堂が商店街の入り口のすぐ左にある。進んでみない選択はない。さっそく足を踏み入れてみる。この商店街のどこかのお店で昼食にしてみてもいいだろう。
右手には肉屋がある。商店街の肉屋というイメージを覆すかのように看板も内装もなかなかお洒落である。店舗の正面は全面ガラス張りになっていて店内が丸見えだ。
店の外からも見えるショーケースを眺めれば思わずステーキやとんかつなどの肉料理が食べたくもなってくる。そうした店がこの先のどこかにあるだろうか。
肉屋のショーケースで見る肉は、豆腐屋の豆腐やパン屋のパンなどと何ら変わらないフードメニューの1つだが、少しばかり想像力を働かせればそこには当然ながら一括りにはできないバックグラウンドの違いがある。
“生産者”が育てた牛や豚、鶏などが屠畜場で“食肉処理業者”によって解体されてから商品となって市場に流通することになる。もちろんパンや豆腐だって植物や穀物の“命”を奪って食べ物に変えていることに変わりはないが、食肉の商品化プロセスはパン作りや豆腐作りとは一線を劃すものだと多くは感じるのではないだろうか。誤解してほしくはないのだが、決して差別や偏見を話題にしているわけではない。
“婉曲表現”ですべては丸く収まる?
商店街を進む。和菓子屋やせんべい店を通り過ぎる。お土産を買うにも事欠かないということだろう。
一歩踏み込んで想像してみれば、なかなかショッキングなことになっている食肉生産のプロセスだが、それでも我々の多くが市場に出回っている肉を見ても特に感情を動かされないのは、やはり使われている言葉の影響が大きいのではないだろうか。食用の牛や豚を育てているのが“生産者”で、屠畜を行っているのを“食肉処理業者”と呼ぶことで、その印象はずいぶんマイルドなものになっている。お腹を“下す”というよりも“ゆるく”なるという言ったほうが耳障りが良いのと同じことだろう。
最新の研究でも直接的な表現を避ける婉曲表現(euphemisms)が受け手の印象に好ましい影響を及ぼすことが報告されている。
心理的文脈におけるダブルスピークの有効性、結果、メカニズムを調査する一連の研究の一環として、研究者はダブルスピークに特徴的な言語の使用が人々の行動の評価に影響を与えるために使用できるかどうかを調査しました。
研究者たちはダブルスピークを、自分自身に利益をもたらす方法で真実を表現することによって他人の意見に影響を与えるための言語の戦略的操作として特定しました。これを行うために研究者は受け入れられやすい表現、たとえば「屠畜現場で働く」のような不快な用語の代わりに「食肉処理工場で働く」などに用語を置き換えることが、人々の解釈にどのような影響を及ぼすのか検証しました。
研究者の結果は、個人があまり受け入れられやすくない行動を説明する時に、いくぶんかは受け入れられやすい用語を戦略的に使用すると、行動に対する人々の評価が予測可能で自己奉仕的な方法でバイアスされる可能性があることを確認しました。
※「University of Waterloo」より引用
ダブルスピーク(Doublespeak、二重表現、二重語法)とは、受け手の印象を変えるために言葉を言いかえる修辞技法であり、その1つが婉曲表現なのだが、こうしたレトリックを効果的に使うことで受け手の印象はずいぶん好ましいものにできることを、カナダ ・ウォータールー大学の研究チームが2021年4月に「Cognition」で発表した研究で報告している。
リーダーと呼ばれる者はその責任ある立場上、時にはネガティブな言及が避けられないこともあるだろう。自分にとっても組織にとってもネガティブな発言は評判を損なうものになるだけに、粉飾したり歪曲したりとつまり“ウソ”をつきたくなる誘惑にも駆られるかもしれない。しかしそうした“ウソ”は発覚した時のダメージはすこぶる大きい。
そこで重要なレトリックとなるのが婉曲表現だ。申し出を断る際に“遠慮”しますと言ったり、トイレを“お手洗い”と言い換えることで、ウソや露骨な表現をせずにやんわりと自分の意思を伝えることができるのだ。
度が過ぎれば“こじつけ”や“煙に巻く”ことになりかねない婉曲表現だが、よく考えて効果的に使うことで心強い味方にすることができるのだろう。腹を下すかもしれないと警告されればただ事じゃない感じにもなるが、お腹が“ゆるく”なる場合があるということなら冷静に受け入れることができそうだ。
人気の魚料理店で銀だら煮の定食にありつく
さらに商店街を奥へと歩き続ける。考えていたよりも飲食店が少ないのかもしれない。居酒屋のランチという選択もありだが、もう少し先をあたってみたい。
右手にある魚屋を通り過ぎる。さっきのお洒落な肉屋とは違い、こちらは昔ながらの魚屋という店構えだ。肉料理ではなく魚系もいいなと思う。
交差点に出ると左右に飲食店らしき店があるのを認めたが、ここはもう少し先を進んでみたい。
中で定食が食べられるという惣菜店にも心が惹かれたが、さらに進むと右手にカフェがあり、その隣に店名を見れば一目瞭然の魚料理専門店があった。店先に立てかけられた黒板には「本日の定食」が書き記されている。今日は「銀だら煮」と「あこう鯛の西京焼」とのことだ。ここでいいのだろう。入ってみよう。
人気店らしくほぼ満席である。店を入ってすぐに調理場を囲むL字型のカウンター席があり、その奥に座敷席があるようだ。運よく奥の座敷席に通していただいた。一人だとなかなか座敷で食べることはないのでラッキーである。席に着くとさっそくお茶とおしぼりが運ばれてきて「銀だら煮」を注文する。
お客の大半は近くで働いている方々のようだ。座敷で向かい合って座り定食を食べながら仕事の話をしている2人組が隣にいたが、その話の内容を聞けば明らかに印刷会社の方々である。
定食がやって来た。銀だらを食べるのは1年ぶりくらいだろうか。いや、優に1年以上だ。昨年はおそらく一度も食べていないはずである。
たらの身は柔らかくてふかふかしている。箸でやんわりと挟まないことにはつまみ上げることができない。もちろん美味しいが、銀だらを食べる機会に出会えた嬉しさのほうが先に来るかもしれない。もちろん肉も食べたいが、いろんな魚を食べる機会も持ちたいものである。
みそ汁が見た目以上に具沢山でこれだけでご飯が1膳いけてしまいそうである。ちなみにご飯はお代わり自由ということだ。自由ということは3杯でも4杯でもお代わりできるということなのだろうか。個人的には今回はお代わりは“遠慮”することにすることにしたい。決してこちらのご飯が美味しくないという意味ではなくむしろ美味しいが、単純に糖質の摂取量を配慮してのことである。
ともかく出先で味わう魚料理にじゅうぶん満足である。今日はまだひと仕事残っているがあとは戻るだけだ。せっかく買ったガムを噛みながら帰るとしようか。
文/仲田しんじ