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18年に及ぶプロ生活にピリオドを打ち、セカンドキャリアの一歩を踏み出したサッカー元日本代表・徳永悠平

2021.01.15

Photo/ Getty Images(Masahiro Ura - JL / 特派員)

 中村憲剛、佐藤寿人とビッグネームの引退が相次いだ2020年Jリーグ。彼らと同時期に日本代表に名を連ねた右サイドバック・徳永悠平もユニフォームを脱ぐ決断をした。

「FC東京でプレーさせてもらった15年間は貴重な経験です。タイトルを獲得できたことを今でも心に残っています。キャリアの最後に地元長崎でプレーできたこと、最後まで昇格争いできたこと、長崎で引退できることをすごく幸せに感じています」
 12月18日にV・ファーレン長崎から引退発表した際、徳永はこのようなコメントとともに深い感謝を示した。2021年から家業で働きながら、新たなビジネスを模索するという彼に単独インタビューを行い、現在・過去・未来を改めて聞いた。

高校三冠から早稲田大学経て、FC東京へ

 徳永悠平の名が全国に轟いたのは、国見高校2年の時の2000年。1つ上の大久保嘉人(C大阪)らとともに高校総体、国体、全国高校サッカー選手権の三冠の原動力となったからだ。高3の時には2つ下の怪物・平山相太(仙台大コーチ)らとピッチに立ち、選手権連覇を達成。当時から日本人離れした身体能力の高さと堅守を誇り、Jリーグからも熱視線を送られていた。

 しかし、名将・小嶺忠敏監督(現長崎総合科学技術大学付属高校総監督)の意向もあり、徳永は直接プロに進まず、早稲田大学進学を選択。案の定、大学サッカーでは頭抜けた存在感を発揮し、2003・2004年はFC東京の特別指定選手となった。この頃、同クラブでは日本代表DF加地亮が右サイドバックの定位置をつかんでいたが、彼からポジションを奪って、ヤマザキナビスコカップの予選リーグを戦うほどのインパクトを残した。華々しい活躍ぶりは海外からも注目され、スペインの強豪・バレンシアからの獲得オファーも舞い込んだ。が、本人はFC東京入りを決断。今、考えると惜しい話だった。

「プロ入り前の自分は『ワールドカップ(W杯)出場』を目標にしていました。その夢を果たすためには、よく知っている環境でプレーした方がいいという考えがあったんです。それにあの頃は海外移籍する選手も少なくて、向こうの環境のこともよく分かっていなかった。時代が違えば行っていた可能性もあったかもしれないですね」と本人は言う。

 2006年のFC東京入団後は加地のガンバ大阪移籍も重なって、すぐさま絶対的レギュラーに君臨した。ガーロ、原博実(Jリーグ副理事長)、大熊清(清水GM)、城福浩(広島監督)、ランコ・ポポヴィッチ(町田監督)、マッシモ・フィッカデンディ(名古屋監督)と指揮官が変わる中でも、コンスタントに起用され、2009年のナビスコカップ、2011年の天皇杯と2度のタイトルを手にすることができた。

「自分のサッカー人生で大きな出来事をいくつか挙げるなら、やはり東京時代の2つのタイトルは外せない」と徳永自身も強調する。
「優勝の味っていうのは格別でしたね。でも長い間、目指し続けたリーグタイトルは取れなかった。東京にいた2017年までずっとJ1制覇を目標に戦ったけど、そこには手が届かなかったですね」と悔しさものぞかせる。

 もう1つ、彼が残念に感じているのは、W杯出場という最初の目標を果たせなかったこと。岡田武史監督(FC今治代表)時代の2009年10月の2011年アジアカップ予選・香港戦(日本平)で初キャップを飾った頃の迫力と安定感は凄まじく、代表で一歩リードしていた内田篤人(JFAロールモデルコーチ)から定位置を奪い取りそうな勢いもあった。が、2010年南アフリカ本大会は予備登録止まり。アルベルト・ザッケローニ監督時代も2013年東アジア選手権(韓国)では守備のマルチプレーヤーとして優勝の原動力になりながら、2014年ブラジル行きは叶わなった。

「現役生活のラスト3年間を過ごした長崎でJ1昇格できなかったことを含めて、僕の人生は取れないものの方が多かったのかなという気がします(苦笑)。そういう中でも全身全霊でチャレンジし続けられたことはよかった。今は心から納得しています。
 代表のポジション争いを内田君とできたこともいい経験になった。彼は若くて能力がある選手。同じ2006年にプロ入りし、同じポジションだったんで、比べられることも多かったですけど、鹿島でタイトルを取り、欧州へ行き、高いレベルで活躍していたので、尊敬の眼差しで見ていました。彼に勝ってポジションを取らないとW杯にはいけない。そういう厳しさを感じられたのは、自分を成長させるきっかけになったと思います」

サッカー人生で一番緊張したロンドン五輪

 手に入らなかったものがある一方で、得られたものも少なくなかった。その1つが、オーバーエージで参戦した2012年ロンドン五輪の4位という結果だろう。
 早稲田時代に出場した2004年アテネ五輪は1次リーグ敗退の憂き目にあったが、吉田麻也(サンプドリア)とともに挑んだ2度目の五輪は3位決定戦までたどり着いた。その大一番で韓国に苦杯を喫し、メダル獲得はならなかったが、勝てる集団に身を置いたことは忘れられない思い出だという。

「サッカー人生で一番緊張したかなと思うのがロンドン五輪です。初戦でスペインに勝って勢いに乗り、1次ラウンドを1位通過し、準々決勝でモハメド・サラー(リバプール)のいたエジプトを3-0で倒して4強入りしたのはすごい経験でした。オーバーエージの責任をひしひしと感じながら戦いましたけど、大会中のチームの急成長を実感できて本当に楽しかった。だからこそ、メダルを取りたかったですね。
 今年夏に開催される予定の東京五輪で日本が金メダルを取ろうと思うなら、あの時みたいに勢いと一体感が絶対に必要。短期決戦だし、みんなで集まって練習する機会も少ないだろうから、とにかく同じ方向を見て突き進むことだと思います。久保建英(ヘタフェ)とはほんの少しだけ一緒にやりましたけど、彼を含めて東京五輪世代はいい選手が沢山いる。欧州に出て国際経験も積んでますし、期待していいと思います」

 これだけの素晴らしいキャリアを積み上げた徳永は潔く引退を決断。12月末に恩師・小嶺先生に連絡を入れたという。
「『これからどうするんだ?』と聞かれました。『とりあえずサッカーを離れます』と返事すると、『お前はサッカーに携わり続けていないとダメなんだ』と言われた。それは城福さんや大熊さん、原さんも同じでした。自分もゆくゆくはサッカーに携わりたいという気持ちはありますけど、まずは社会人として実務経験をしっかり積んで、ビジネスを展開できる人間になることが第一だと思います」

 そう語る徳永がまず取り組むのが家業。彼の実家はコンクリート二次製品を製造販売する会社を経営。今は社長である父から業務内容に説明を受けたり、パソコンを使った書類作成などの勉強をしているところだ。
「1月は会社の仕事全般を覚えるため、各部署からレクチャーを聞いたり、現場へ行ったりすることになっています。サッカーもそうでしたけど、全てやりながら学んでいけばいい。いずれは実家の会社がV・ファーレン長崎のサポートをするなど、何らかのつながりを作れれば理想的だと考えています」

 新たな意欲を示す徳永。ただ、家業にとどまるつもりはない。近い将来、新規ビジネスを興したいという希望も持っている。
「まだイメージ段階ですが、サッカー選手のセカンドキャリア支援を手掛けていけたらという気持ちがあります。僕はサッカー選手をやり切って、スムーズに次の道へ踏み出すことができる環境にいますが、全員がそういうわけではない。『引退した後、どうしたらいいのか?』『自分は何が向いているのか分からない』という思い悩む選手も少なくないと思います。
 何年かJリーグでプレーした選手の場合、クラブのアカデミースタッフとかスクールコーチの道を与えてもらえるケースも多いですけど、指導者以外の選択肢もあっていい。それがもっと増えるように、自分は貢献していきたいですし、そのための人脈やネットワークを構築し、ビジネス経験を積み重ねていきたい。それがサッカー界への恩返しになるとも考えています」

 トップレベルで走り続けてきた彼には誰にも負けない運動量と闘争心、アグレッシブさがある。タフなメンタリティとフィジカル面は未知なる世界でも必ずや生かされるはず。ビジネスパーソンとしてビッグになり、サッカー界で再び活躍する徳永悠平の雄姿が見られる日を、多くの人々が待ち望んでいる。

取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。

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