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年俸120円のおっさんJリーガー安彦考真に学ぶ、自分に嘘をつかないストレートな生き方

2020.12.24

 新型コロナウイルスに翻弄された2020年のJリーグも20日までに全日程を終了した。最後までもつれたJ2昇格争いのラスト1枠はSC相模原が初昇格を決める形となった。

 熾烈な戦い繰り広げられる中、1人のベテラン選手が現役ラストマッチに挑んでいた。20日のJ3最終節・YSCC横浜対藤枝MYFC戦。2018年に40歳でプロになる夢を叶え、年俸120円Jリーガーとして名を馳せた安彦考真がラストダンスを見せたのだ。

最終戦では42歳でスタメンに抜擢

「スタメンを知ったのは当日朝。『何となく来るかな』という微妙なラインだったけど、まさか本気とは(シュタルフ悠紀リヒャルト)監督もイカれてるなと思いました」と苦笑いする彼だが、ピッチに出ていく時は涙が溢れたという。

「J3最年長得点記録は今年11月2日のヴァンラーレ八戸戦でガイナーレ鳥取のフェルナンジーニョ選手が作った39歳10カ月9日。42歳の僕が取れば、かなりの記録更新になる。現役のうちに何とかしたいですね」と語っていた安彦にとっては千載一遇のチャンス。

 序盤からアグレッシブに前へ出て、相手守備陣の背後を伺うなど、虎視眈々とゴールに向かった。「絶対にムリだろう」と思われることに積極果敢にチャレンジするのがこの男。だからこそ、40歳にしてJリーガーになるという夢を果たし、3年間キャリアを積み上げることができたのだ。

 最大のチャンスは、佐藤祐太のミドルシュートを放った前半27分の場面。GKが弾いていたら「確実に1点」という状況だったが、残念ながらボールはこぼれてこなかった。結局、シュートゼロのまま後半13分に退く形になったが、交代直前にキャプテン・宮尾孝一が奪った決勝弾でYSCCは1-0で勝利。9月12日のいわてグルージャ盛岡戦以来の白星の原動力となる形で、安彦の現役最終戦は幕を閉じた。

 1978年2月1日生まれの彼は間もなく43歳。神奈川県相模原市で育ち、まだJリーグ発足前の小学校の卒業文集に「将来の夢はプロサッカー選手」と書くほどのサッカーフリークだった。高校サッカー選手権に出るため、小林悠(川崎)らを輩出した強豪・麻布台淵野辺高校のセレクションを受けに行き、合格をもらったものの、成績が足りずに進学が叶わず、弱小の新磯高校へ。それでもプロの夢を諦めきれず、新聞配達のアルバイトで渡航費を貯め、3年時にブラジルへ短期留学。高校卒業後にはベロオリゾンテへ赴き、転々としてマリンガという町にあるグレミオ・マリンガでプロ契約を勝ち取った。

「96~99年に現地で生活しましたけど、ご存じの通り、治安が悪く、身の危険を感じることが多かった。誰が要注意人物で誰が信頼できる人か分からない。それを判別するためにも言葉を覚えるしかなかった。友達や彼女を作ったりして必死にポルトガル語を喋っていたおかげでレベルアップ速かったですね」と安彦は笑顔をのぞかせる。

常に不完全燃焼だった

 ところが、ブラジルプロデビュー直前に前十字靭帯断裂の重傷を追ってしまう。結局、21歳で帰国し、母親を通して知り合ったジーコの実兄・エドゥの下でJSSC(ジャパン・スポーツ・サイエンス・カレッジ)で選手権通訳として働きながら、Jリーグ入りを目指すことになった。サガン鳥栖での練習参加を経て、巡ってきた清水エスパルスの入団テスト。青森山田高校との練習試合に出てインパクトを残せれば、夢が叶うはずだった。だが、想像を絶するプレッシャーを感じた安彦は本来の実力とは程遠いパフォーマンスに終始。2本目のゲームに出る前に「もういいから」と言われてしまう。

「正直、不完全燃焼感が強く残りましたが、現実を突きつけられるとどうにもならない。Jリーガーの夢にいったん見切りをつけ、別の道を踏み出すしかないと感じたんです」
 そこからは自分探しの旅の連続だった。2003~2005年には大宮アルディージャでトニーニョやバレー、トゥットらブラジル人選手の通訳を担当。2004年にはクラブ初のJ1昇格も経験した。

「当時の僕は体力が有り余っていてボールも蹴れたんで、白井淳GKコーチ(現京都産業大学)のアップを手伝ったりしていました。『俺って全然イケるじゃん』と思いましたけど、清水での悪夢が脳裏に焼き付いていて、再挑戦なんて気持ちにはなれませんでした」

 大宮の後は通信制のルネサンス高校のサッカー部を立ち上げるため準備室ディレクターとして働いたが、動きが遅く、なかなか具現化できなかった。「どうしたもんか」と考えていた時に元日本代表の北澤豪氏(日本サッカー協会理事)と出会い、彼の事務所で働くことになる。

 2006~13年にかけては「FOOT」というサッカースクールの立ち上げに携わったり、U-12以下の世界一を決める国際大会・ダノンネーションズカップの運営、個人マネージャー業務など忙しく働いた。北澤氏がJICA(国際協力機構)のオフィシャルサポーターを務めていた関係でパレスチナや南アフリカ、セネガル、ガーナ、カメルーンなど多くの発展途上国も訪れた。これは貴重な経験になったという。

「北澤さんのおかげで滅多にいけない場所に行けたり、要人に会えたりして、本当に感謝しています。この7年間で自分が黒子に徹していられない性格だと分かったのも大きかった。2010年南アフリカワールドカップの時も有名アーティストが来ていて『北澤さんと一緒にVIPルームに来てください』と言われたのですが、北澤さんは解説で時間が取れなかった。そこで『僕らは先に入って一緒に見れますよ』と声をかけると、社長からは『結構です』と一蹴されました(苦笑)。あくまで北澤さんがメインで自分は影の存在。その現実を突きつけられて『俺って一体、何をしてるんだろう』と思いました。大宮で通訳していた時もそうだったけど、『自分が中心でいたい』『脚光を浴びたい』って思いがどこかにあったんでしょうね」

 そのメンタリティは北澤氏のもとを離れてからも変わらなかった。2013年夏以降は実弟が監督を務める麻布台淵野辺高校でコーチを務めながら、中央アートアカデミー高等部(中央学院)のbiomサッカーコースの講師、コミュニケーションスポーツという発達障害児のスクール講師などを務め、収入も着実に上がっていった。

 一番忙しかったのは2016~2017年。biomとコミュニケーションスポーツのほか、小林悠のマネージメント、ダノンネーションズカップ日本大会組織委員長も掛け持ちし、さらにはユベントスのサッカースクール立ち上げにも関わった。やり手の安彦は1000万円の年収を稼ぎ、恵比寿の高級マンションに住んで、IT長者御用達のレストランへ足繁く通うようになった。

 これは、彼が望む「自分が脚光を浴びられる状態」に近いステイタスを手に入れたようにも映る。だが、本人はなぜか日に日にむなしさを覚えるようになっていく。

自分を騙しながら生きていくことはできない

「『お金では買えないものがあるんじゃないか』と感じることが増え、『本当にやりやいことは何なのか』と思い悩むようになっていきました。そこで頭に浮かんだのが、2002年にあと一歩のところでつかめなかったJリーガーの夢でした。ブラジルでも鳥栖でも清水でも『やり切った』という確信がないから、本当の意味で区切りがついていなかった。『俺にはそれしかないし、もう自分を騙しながら生きていくことはできない、一度しかない人生に悔いを残したくない』という思いでいっぱいになったんです」

 その時すでに38歳。普通に考えれば、ベテラン選手が引退する年齢だ。でも彼が「Jリーガーを目指す」と宣言。それを元川崎の箕輪義信氏さん(菅高校教諭)らが力強く応援してくれた。本人も2017年8月に全ての仕事を辞め、肉体改造に着手。40歳でJリーグデビューすべく、クラウディファンディングでパーソナルトレーニング代の85万円を集めるという斬新な試みにトライした。それが多くの人々に受け入れられ、1カ月で121万円を確保。関東1部のエリースFC東京にも加入して本格的な強化に乗り出した。大宮通訳時代に同時期にプレーしていた西村卓朗氏が強化部長を務め、冨田大介(現水戸アンバサダー)が最年長プレーヤーとして戦っていた水戸ホーリーホックにプレゼンをして、練習参加にこぎつけた。そして2018年3月31日、約3カ月及んだテストに合格し、彼はついにJリーガーという勲章を得たのだ。

「その日の朝、卓朗から電話で報告を受け、練習時にみんなに挨拶したんですが、泣くつもりはなかったけど、号泣してしまいましたね(苦笑)。月1円の10カ月契約で『実質0円Jリーガー』でしたが、15年間思い続けてきた夢への一歩は踏み出せました」

 残念ながらそのシーズンの公式戦出場はゼロ。シーズン終了時にゼロ円提示を受け、何の実績も残せないままチームを去ることになった。このままでは絶対に終われないと安彦が思った時、声をかけてくれたのが、biomで働いていた時に監督として支えてくれたYSCCのシュタルフ監督だった。

「月10円・年俸120円で契約し、2019年は個人スポンサーをつけてプレーしました。最初は『これがアスリートの新しい働き方だ』と自画自賛しましたが、この形だと企業に魂を売ることになってしまう。8試合無得点という結果を含めて納得できず、2020年は全てをフラットにして最後のシーズンを送ろうと決意しました。

まだ終わっていない。不屈の男の次なるチャレンジは格闘家

 今年は実家に住んで軽自動車で練習場に通い、朝晩の食事は両親に助けてもらっています。昼食はヴィーガンの専門店『きせきの食卓』(横浜市中区)からサポートしていただき、用具の提供も受け、金銭的負担がほとんどかからない状態で取り組んでいます。メディアにコラムを書いたり、12月18日に小学館からおっさんJリーガーが年俸120円でも最高に幸福なわけという著書を出したりと自分なりにできる発信にも努めました。

 そんな自分が求めたのは『残り5分の男』。勝負どころで登場し、スタジアムの雰囲気をガラッと変えるような選手が僕の中でのJリーガーの定義。ここまでの出場4戦のうち2試合はロスタイムで追いついた。少しは仕事ができたのかなと感じています」

 引退試合ではラストどころかスタートからピッチに立ち、73分間に渡って体が壊れるくらいの迫力で繰り返しゴールに向かった安彦。タイムアップの瞬間には最高の笑顔を見せ、仲間と熱い抱擁を交わした。

「お金で買えない幸せがある」

 そう再認識した彼は、藤枝戦後のセレモニーで驚くべき決意を口にした。

「僕の挑戦の第1章は終わりましたが、これからは第2章。格闘家になって来年大晦日のさいたまスーパーアリーナ(RIZIN)を目指します」

 そう決心したのは2週間前。まだまだ挑戦者で居続け、世の中の停滞感や閉塞感を打破するために一番近道なのがこの道だとひらめいたのだという。

「シンプルに次の挑戦が何かと考えた時、俺は今の世の中を変えたくてしょうがないなと。スポーツで世の中を変えたいと思ってJリーガーが目指したけど、次は格闘家かなと。『今のままじゃだめだよ。諦めるなよ。まだ日本は終わってねえし、俺らも終わってねえ』ってことを40代に見せたいんです」

 引退会見でこう語気を強めた安彦は年内にも新たな道に始動する予定。クラウドファンディングやオンラインサロンなどで活動資金を確保しつつ、大胆な肉体改造に着手し、戦える屈強な肉体を作り上げる意向だ。一度、Jリーガーという夢をつかんだ男なら、どこまでも突き進んでいけるはず。破天荒な男の第2章を心から応援したいものだ。

 

 

おっさんJリーガーが年俸120円でも最高に幸福なわけ
著/安彦考真 小学館 1540円

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取材・文/元川悦子 撮影/藤岡雅樹

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