知覚力が注目されているらしい。知覚とは、「感覚器官への刺激を通じてもたらされた情報をもとに、外界の対象の性質・形態・関係および身体内部の状態を把握するはたらき」(広辞苑)とある。では、今、世界のビジネスパーソンが注目する「知覚力」とは何か。それは目の前の必要な情報を逃さず、状況に応じてより適切に解釈する能力だと『知覚力を磨く』の著者であり、アメリカのメトロポリタン美術館やボストン美術館でキュレーター経験のある神田房枝さんは言う。優れた思考の前提として優れた認知力、すなわち知覚力が必要だと説く。
神田房枝:法人教育コンサルタント/美術史学者/ダヴィンチ研究所ディレクター
日本航空勤務後、米イェール大学大学院にて美術史学博士号取得。ニューヨーク・メトロポリタン美術館のキュレーターアシスタント、ボストン美術館研究員などを経て現職。ビジュアルIQアセスメントを考案、現在、絵画を使った知覚力トレーニングを企業や大学、病院などに提供している。
現代人は検索的見方に毒されている
「思考に偏りすぎた世界へのフレンドリーな挑戦状です。」という刺激的な一文から『知覚力を磨く』は始まる。
「知覚とは、自分を取り巻く世界の情報を、既存の知識と統合しながら解釈すること」(P32)と、神田さんは説明する。たとえばこの写真を見てほしい。
これを見て、グラスに水が「半分入っている」と解釈するか、「半分空である」と解釈するか。その解釈の元になるのが知覚だ。
かのピーター・ドラッカーは、パソコン市場の黎明期、そのビジネスチャンスの多寡を判断するとき、このグラスの水に対する知覚が大きな意味をもつと説いた。「コンピュータを使うのは大企業だけ。ビジネスチャンスは限定的」と市場参入を見送った人は、水が半分入っていると解釈した人。「個人も気軽にコンピュータを買うようになる、ここにビジネスチャンスがあるから参入しよう」と考えた人は、「グラスはまだ半分空である」と解釈をした人、と説明できる。
「人間の知的生産には、知覚→思考→実行という3つのステージがあります。
眼の前の情報を受容しながら解釈を施し(知覚)、それに対して問題解決や意思決定をしたうえで(思考)、実際にコミュニケーションやパフォーマンスに落とし込んでいく(実行)。M&Aの準備から会社の会議のセッティング、部屋のリフォームから子どもの学校選び、日々の買い物に至るまで、すべてにおいて私たちはこの3つの段階を踏んでいます。」(P9)
そんな大切な知覚の力が、現代人から急速に失われつつあると神田さんは危惧する。その大きな原因が、私たちがふだん行っている“検索”的な見方だと言う。
「検索という行為は、何かを発見するために行います。実際に何かしらが見つかるので満足感を得やすいのですが、そこでは自分が期待するものしか見えていません。意識的にも無意識的にも、その他の情報を排除してしまっています。これでは自分の期待する以上のものは見つけられないでしょう。もったいない。現代人は、検索という見方に毒されてしまっていると思います」
自分の期待するものしか見つけられないということは、自分の枠を超えられないということ。たとえば通販で物を買うと関連商品がズラーと提示されるが、その程度の範囲しか物事が見えていないということだろう。
知覚力アップトレーニングには絵の観察が役立つわけ
そんな現代人の知覚力を鍛えるトレーニングとして、神田さんは絵画の観察を勧める。
「人は絵画を見る時、何かを探したり、答えを見つけようと期待したりしません。だから検索と違う見方ができるのです。大切なことは、目の前にある絵画の“全部”を見て、全ての情報をありのまま受容すること。全体図を観察することで、その中に描かれている要素が見えてきます。次に要素と要素の関連性、その要素が全体の中でどういう役割を果たしているかがわかってきます。これが知覚を刺激するのです」
美術館や展覧会に行って絵を見るとき、あなたは1枚の絵をどれくらい時間をかけて見ているだろうか。せいぜい1分くらいでは? それで「ゴッホの××を見た」「セザンヌの××を見た」と思ってしまいがちだが、1枚の絵を「全部見る」には、少なくとも5分はかかると神田さん。
「見たつもりでいても見逃している点がたくさんあります。それは絵画や美術の知識や、その画家の知識のあるなしとは別のことです。その見逃している点が重要なのです」
では、どんな絵画が知覚トレーニングに有効なのだろうか。美術鑑賞は苦手だという人にも有効なのだろうか? 神田さんから具体的にアドバイスをしてもらった。
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取材・文/佐藤恵菜