
一日に何度も手と指を消毒する日常が常態化している。飲食店をはじめ各種の店舗や施設で手指の消毒や場合によっては検温も行われているが、その一方でもちろん、店舗や施設自体の消毒も行われている。個人的にはストレスを感じるほどのことではないが社会的に“余計な仕事”が増えたことは間違いない。
“ニューノーマル”について考えながら中山道を歩く
所用を終えて気持ちの良い秋晴れの中、文京区某所の中山道を歩いていた。辺りにはオフィスや事業所なども見られるもののほぼ住宅街だ。車の走行音がなければかなり閑静な住宅街である。ここにやってくる時は東京メトロ南北線を利用したが、用件を終えた今は少し散歩してみてもよかった。
快晴の午後、いくぶん冷たい空気が新鮮な気分にさせてくれる。思わず紙マスクを外したくもなるのだが、歩道ですれ違う人が少ないわけでもないのでやめておくことにした。マスクにまつわる認識や態度が議論になることもあるが、正直なところ個人的にはあまり深く考えたくない。今しているのは薄い紙マスクで特に息苦しいということもなかった。
このマスクについても、そして手と指の消毒についても、コロナ前には考えられなった“ニューノーマル”になってしまった。こうした習慣がしっかりと社会に根付くなどと去年に誰が予想しただろうか。今を生きる我々は好むと好まざるとにかかわらず、それまでの常識や様式が変わるというある意味で貴重な瞬間に居合わせたのだといえる。こうしたことが暮らしと社会通念にどんな影響を及ぼしたのかを検証するにはもう少し時間が必要なのだろう。
その是非はともかく、明らかに“余計な仕事”が増えたことは確かだが、少し前に東京メトロが駅構内を消毒して回る「消毒ロボット」の導入に向けてテストを行っているというニュースを見た。昨今何かと話題のロボットや人工知能だが、確かにこのような作業こそロボットに相応しいのかもしれない。ぜひ早い時期に導入が実現してもらいたいものだ。
それはともかく良い散歩日和である。今年もようやく猛暑を忘れさせてくれる季節になってきた。イチョウが色づく頃も楽しみだ。
歩き続ける先に、賑やかな交差点が見えてくる。コンビニやカレー店、スーパーなどの店舗が並んでいて、人通りもにわかに増えてくる。居酒屋とカラオケ店が入ったビルもある。コロナ禍でカラオケ店は苦戦しているというが、ここもやはり難しい状況に直面しているのだろうか。
交差点で信号待ちをする。右に延びる通りもわりと賑やかな商店街になっている。この辺で遅い昼食にしてみてもよさそうに思えた。
信号が青になる。右折してみてもよかったが、ひとまず前進する。気が変わったら引き返してみたっていいのだ。
なだらかな下り坂を歩く。そば屋と天丼のチェーン店を順番に通り過ぎたが、もう少し先を進んでみる。反対側にはチェーンの大衆食堂もある。
さらに進んで行くと、一階が回転寿司の店で二階がファミレスになっている建物が見えてきた。そういえば久しく寿司を食べていない気がする。回転寿司などなおさら久しぶりだ。この機会に入ってみてもよいだろう。
“コロナ禍”で加速するロボットの社会進出
店内に入るとすぐに大きなタッチパネルの機器に直面する。この機器を操作して受付をするのだ。待合所で待っている団体客の姿もあったが、自分はカウンターを希望したのですぐに入店できた。
この回転寿司チェーンでは少し前まで受付をこの機器ではなくロボットの“ペッパー君”がしていたことでも知られている。なぜペッパー君がいなくなってしまったのか、詳しい事情はわからないが、この機器でもまったく業務に支障はなさそうだ。
機器からは席番号がプリントされたシート出てきて、それを持ってカウンター席に向かう。音声でも席番号がアナウンスされそこへ向かうようにと指示される。もちろん人間の声ではなくプログラムされた自動音声だ。
席に着き、目の前に設置されているタッチパネルでさっそく注文をする。期間限定フェアが開催されていて、メニューを見ると確かにお得そうである。適当に注文し、当初は飲むつもりはなかったのだが、生ビールの小ジョッキもオーダーする。注文するごとに自動音声で確認を問う言葉が発せられる。実に優秀なロボットだ。地下鉄の「消毒ロボット」もそうだが、こうした飲食店の注文システムもロボットにはふさわしい“職場”と言えるのかもしれない。そして現在の“コロナ禍”は皮肉にもロボット普及の追い風になっているとも言えそうだ。
注文の品が流れてきた。到着する少し前にロボットの音声がもうすぐ届くことを知らせてくれる。生ビールは店員さんが席まで持って来てくれた。
、生ビール小ジョッキで喉を潤してから「刺身ローストビーフ」と「北海道産さんま」を頂く。ローストビーフが刺身感覚で食べられるというのも珍しい食体験だ。さんま寿司も口当たりが良くいくらでも食べられてしまいそうな“無限”な代物である。
こうした飲食の分野にも着実に進出してきているロボットだが、我々は実際のところロボットに対してどんな思いを抱いているのだろうか。最新の調査で興味深い調査結果が報告されているようだ。
ヒトゲノム、人間の能力向上、人間と機械の相互作用という3つの新しいテクノロジー分野における倫理的問題に取り組む合同プロジェクト「SIENNA」の研究チームが2020年9月に発表した研究では、11ヵ国1万1000人への調査によって、人々がロボットに対してどのような印象を持っているのか率直な本音が浮き彫りになっていて興味深い。
ほとんどの国で、人々はインテリジェントマシンの機能の開発と社会への影響において今後20年間で大規模な変化を予想していました。人々はまた、これらの技術がリスクをもたらすことを認識していました。
ほとんどの国で、人々はロボットがより多くの人間の特徴を引き受ける可能性について、そして不平等を拡大し、人々のコントロールを弱める結果となるインテリジェントマシンのより広範な使用について、肯定的であるよりも否定的でした。
それにもかかわらず人々は社会におけるインテリジェントマシンの全体的な影響について、総合的にはネガティブよりもポジティブに傾いていました。
※「Zenodo」より引用
人々の回答を分析したところ、ロボットがビジュアル的にも人間に似ていて、人間の仕事のかなりの部分を代行できるケースにおいて、やはり人々はネガティブで複雑な気分を抱いているようだ。ということは、この店からペッパー君がいなくなったのも同じ職場の“同僚”にあまりよく思われていなかったからなのだろうか……。もちろんあらぬ推測でしかないのだが。
調査の結果、人型のロボットにはどうしても警戒心が働いてしまう傾向がありそうだが、それでもたとえば掃除ロボットやSiriなどの音声アシスタント、さらに自動運転車両など、今後はロボット(インテリジェントマシン)がさらに社会に普及することは間違いなく、多くの人々はそれが良いことであると感じているということだ。今後ますますロボットが社会に進出してくることは、誰の目にも明らかということだろう。
ロボット導入で低下する生活者としてのスキル
今回の調査において人々への質問の中には「ロマンチックなパートナー、つまりガールフレンドやボーイフレンドとしてロボットを持つ考えを受け入れられるか」という興味深い問いもあった。
受け入れられると回答したのはわずか12%で、15%がどちらとも言えない、そして72%が完全に反対している。
しかしこれには国によってばらつきがあり、オランダが最も受け入れられ、30%が受け入れられることに同意し、23%が未決定で、45%が反対している。
スウェーデン、韓国、アメリカ、南アフリカ、ドイツはすべて、調査対象者の10%以上がロボットとのロマンスというアイデアに同意している。一方、ギリシャ、ポーランド、フランス、スペイン、ブラジルは、ロボットとの関係を最も支持していない国で、同意するのは10%未満であった。特にギリシャとポーランドは5%に留まり、フランスとスペインは6%、ブラジルは8%であった。
実際に人工知能を搭載し会話ができる“セックスドール”はすでに販売されていて一部の愛好家の中で好評を博している。その良し悪しはともあれ、ロボットがパートナーになる時代はすでに到来しているとも言えるのだ。
食べている間に注文した品が続々と届いた。「活〆まだい」、「蝦夷あわび」に「茶碗蒸し」だ。夜になればまた少しはお酒を嗜むので、今は小腹が満たせればいい。
寿司をいくつかつまんだ後に味噌汁を飲むのも好きだが、最後に茶碗蒸しで締めるのもなかなか良いことが今回の注文で分かった。少しアルコールを入れてしまった場合、むしろ茶碗蒸しのほうが合っているかもしれない。
ロボットが今以上に普及することで問題になり得るのは我々の側のロボットへの依存と、それに伴う人間の側の自律性の低下だろう。テクノロジーによって生活が便利になるほどに、生活者としての我々のスキルは低下していくともいえる。
現代人のほとんどが糸をより合わせてロープを作ったり、石を割って鋭い刃を持つ石器を作ったりするスキルを持ち合わせていないように、生活の一部をロボットに委ねることでどんどん我々のスキルは錆びついていくのだろう。
しかしその一方で、面倒な作業をロボットに任せてしまうことで、もっと価値が高いと思えるような仕事をしたり、もっと有意義な時間を過ごすことができるようになる。そしてそうでなければロボットを普及させる意味はない。
ロボットの進出・普及によってスキルが失われたとしても、それを上回るベネフィットがあればこそのテクノロジーだ。そしてロボットの普及で自分のどんな能力やスキルが不要になったのか、そしてそれはすぐに取り戻すことができるのかどうか、時折確認してみることが求められていそうだ。個人的にも時折ペンで文字を書く機会があると、字がどんどん下手になっていることに気づかされる。しかし今さら「ペン字」を習う時間もない。
まだまだ食べられるがこのへんでいいだろう。さて、端末の「会計」のボタンを押して、このロボットにお礼の言葉を言われながら店を出ようか……。
文/仲田しんじ