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分割からグループの主役へ躍り出たNTTドコモ成長の舞台裏と完全子会社化の背景

2020.10.20

【第一回】分割からグループの主役へ、NTTドコモ成長の舞台裏

 9月29日、日本電信電話株式会社(以下、NTT持株)はNTTドコモに対し、TOB(株式公開買付)を実施し、完全子会社化することを発表した。今年3月に主要3社が5Gサービスを開始し、新規参入の楽天モバイルも9月末から追随するなど、新しい時代へ向けて動き出した携帯電話業界だが、菅義偉首相による携帯電話料金値下げ指示などもあり、にわかに各社の動きが慌ただしくなってきている。国内の通信業界のこれまでの流れを振り返りながら、今回の動向の背景と影響を全3回でお届けする。

合併会見に臨むNTT代表取締役社長 澤田氏とNTTドコモ社長 吉澤氏

電電公社から民営化、NTTドコモ誕生へ

 ここ数年、国内の大手通信事業者は、NTT、KDDI、ソフトバンクの3つのグループが中心となってきた。昨年、楽天が「楽天モバイル」として携帯電話事業に参入したが、まだ主要3社に対抗するほどの勢力にはなっていない。

 そんな中、NTT持株がNTTドコモを完全子会社化することを発表し、業界内が騒がしくなってきている。その騒がしい理由のひとつが今回の完全子会社化は、今から数十年前の『電電公社』への回帰ではないかという声だ。少し古い話になるが、これまでの両社の流れを振り返ってみよう。

 改めて説明するまでもないが、NTTは元々、「日本電信電話公社」という国有の特殊法人だった。日本国有鉄道(現在のJRグループ)や日本専売公社(現在の日本たばこ産業と塩事業センター)と並ぶ三公社のひとつで、郵政、造幣、印刷、国有林野、アルコール専売を含め、「三公社五現業」とも呼ばれ、国有の事業体として運営されていた。

 ところが、1980年代に入り、行政改革が叫ばれる中、これらの事業は一部を除き、民営化されたり、独立行政法人に移行していく。電電公社も同様で、1985年に施行された電気通信事業法によって民営化され、「日本電信電話株式会社」がスタートした。1987年には株式が公開されたが、売り出し初日は初値がつかないほどの人気ぶりで、翌日に160万円の初値が付いた。NTTは民営化したというものの、すべての株式を公開したわけではなく、現在(2020年6月30日現在)でも政府(財務大臣)が33.93%の株式を保有しており、実際には国の資本が入った準国有企業という見方もできる。

 NTTにとって、次の転換期となるのが1990年の移動体通信事業の分離、つまり、NTTドコモの誕生だ。1991年にエヌ・ティ・ティ・移動通信企画株式会社が設立され、NTTの携帯電話やポケットベルを提供する移動体通信サービスが移管されたが、これは『行政改革の一環で独立』というより、NTT内での位置付けや政府側も思惑もあったとされる。

 今でこそ、人々の生活に欠かせない携帯電話サービスだが、当時はまだ第一世代のアナログ方式の携帯電話サービスやポケットベルが事業の中心で、利用料金もかなり高かったため、企業向けの需要がほとんどだった。NTTグループとしては赤字の続く移動体通信事業を切り離し、当時、第二電電や日本テレコムなどのNCC(New Common Carrier/新電電)との競争に注力したいという狙いがあったとされる。一方、政府は移動体通信事業が切り離されることで、固定電話と携帯電話の間でも競争関係が成立するため、将来的に利用料金やサービスの活性化につながると考えていたとも言われる。振り返って見れば、この政府の目論見は十数年を経て、正しかったことが証明される。

赤字事業からNTTグループの主役へ成長

 1990年にNTTから分離され、1991年から「NTTドコモ」のブランドを展開し始めたNTTドコモ(当時はNTT移動通信網)は、1993年に各地域の会社を統合し、1998年には東証一部に上場する。ちなみに、同じ年には携帯電話各社との競争で、経営が苦しくなったNTTパーソナルのPHS事業を承継している。話は少し脱線するが、PHSはデジタルコードレスホンの技術をベースに開発された電話システムで、国内ではNTTパーソナル、DDIポケット、アステルの3グループがサービスを提供した。しかし、最終的に市場でシェアを獲得し、生き残ることができたのはDDIポケットのみで、その後、ウィルコム、ワイモバイルを経て、現在はソフトバンクがサービスを継承している。PHSは国内における一般消費者向けの電信電話関連のサービスにおいて、NTTグループ以外の企業やグループが勝ち抜いた数少ない事例のひとつと言われている。

 こうしてスタートしたNTTドコモだが、形としては「独立」のように見えるものの、当時は「NTTグループから放り出された」という印象が強かったという。民営化されたとは言え、国という後ろ盾のある企業に勤めていたのに、事業ごと切り離され、子会社になってしまったからだ。

 しかし、そんなムードを大きく変えたのが初代の代表取締役社長を務めた大星公二氏だ。NTTから『放り出された』ことを逆手に、NTTのルールに縛られない自由な社風を作り上げ、次々と新しい技術やサービスを生み出していった。現在のモバイルデータ通信のベースとなるパケット通信を実現した「DoPa」を開発し、その技術を活かし、1999年にはNTTドコモを急成長させる「iモード」をスタートさせた。このiモードの開発に携わった夏野剛氏(現在は慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特別招聘教授)や松永真理氏(現在はセイコーエプソン株式会社やMS&ADホールディングスなど、数社の社外取締役)のように、社外から優秀な人材を招き、積極的に登用したのは、NTTドコモらしい自由なカラーを表わしたものだったと言える。当時、大星氏は「そろそろ社名からNTTを外して、『株式会社ドコモ』にしたい」と発言するなど、NTTとは一線を画した企業へと成長させていきたいという思いをうかがわせた。

NTTは持株、東西、コミュニケーションズに分割

 NTTドコモが独立したものの、それでもNTTは巨大な企業であり、「ラストワンマイル」とも呼ばれる地域通信網はNTTが独占していたため、1995年頃に再びNTTの在り方が政府内で議論されることになった。当時の一般消費者の電話サービスの需要は、ほとんどが音声通話であり、料金の低廉化のためには、公正な競争環境と地域通信網の効率化が必要とされ、数年の審議を経た後、1997年に「日本電信電話株式会社法の一部を改正する法律」が成立し、NTTは分割されることになった。

 分割されたNTTグループは、全体を統括する「日本電信電話株式会社」(NTT持株)をトップに、東日本をエリアとする地域会社「東日本電信電話株式会社」(以下、NTT東日本)、西日本をエリアとする地域会社「西日本電信電話株式会社」(以下、NTT西日本)、県外及び国際を担当する「エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社」(以下、NTTコミュニケーションズ)で構成され、これらの内、NTTコミュニケーションズのみがNTT法(日本電信電話株式会社等に関する法律)の適用外とされた。これにより、NTTコミュニケーションズはNTT持株の100%子会社でありながら、NTT法の制約を受けない民間会社として、事業を展開することができた。

 冒頭でも触れたように、NTTグループが元々、電電公社であり、民営化されたことは広く知られているが、実は、「電電公社の民営化」「NTTドコモの誕生」「NTTグループの分割」は、それぞれ異なる時期に起きた変革となっている。ただし、いずれも根底にあるのは、政府として、電気通信サービスの発展や料金の低廉化を実現するため、如何に公正な競争環境を作り出していくのかが考えられ、その結果、巨大な国有の特殊法人を徐々に解体していくことになったわけだ。

明日公開の第二回では分割を経て、NTTグループ内の稼ぎ頭に成長したNTTドコモだが、なぜNTTグループ内で存在感を示せなかったのか、今回の合併への布石となった出来事を探る。

文/法林岳之
Web媒体や雑誌などを中心に、スマートフォンや携帯電話、パソコンなど、デジタル関連製品のレビュー記事、ビギナー向けの解説記事などを執筆。解説書などの著書も多数。携帯業界のご意見番。

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