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大河ファンは絶対行くべき!NHK「麒麟がくる」の主人公、明智光秀ゆかりの福知山・綾部・舞鶴を巡る旅

2020.10.16

■連載/阿部純子のトレンド探検隊

明智光秀ゆかりの地が点在する丹後地域

現在放送中のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀といえば、「本能寺の変」を引き起こした逆臣、三日天下といったマイナスのイメージが強いが、光秀ゆかりの地である京都の福知山や亀山では、治水事業や城下の地税免除といった善政を敷いた名君として親しまれている。

従来のイメージにとらわれない明智光秀像を描く「麒麟がくる」で、光秀の新たな一面を知った歴史ファンも多く、光秀の足跡をめぐる旅として、丹波地域(福知山市・綾部市・亀岡市・南丹市・京丹波町・丹波篠山市・丹波市)を訪れる人も増えている。

丹波 明智光秀 ゆかりの地マップ」から、福知山・綾部の光秀ゆかりの地を訪ねた。

〇福知山城(福知山市)

明智光秀が織田信長の命を受けて丹波を平定した際、西国攻略に向けた拠点として、天正7年(1579年)に築城した福知山城。明治の廃城令により、天守周辺の石垣や銅門以外の大半は失われたが、昭和61年に城を再建。光秀が築城した中で唯一天守閣に登ることができる城で、天守閣広場では、手作りの甲冑を身に着けた地元ボランティアの方々と記念撮影もできる。

福知山城の見どころは、当時のまま残されている天守台から本丸にかけての石垣。墓石や五輪塔を転用して石垣に使った「転用石」を400~500個使っている。角地には墓石の土台を使い、中にはお地蔵様らしき石も。形、色、大きさもバラバラの「野面積み」という手法だが、440年以上経っているがびくともしていない。死者を祀る墓石や石塔を使うのは不吉だが、さかさまにすることで聖なるもの、吉なるものとして城を守るという意味もあったという説もある。

「豊磐(とよいわい)の井」は日本の城の本丸にある井戸の中では一番深い50m。井戸の位置である海抜40mよりさらに深く、城の東に流れる由良川よりも13.5m深いので水が枯れることはなかったという。9代目の福知山城主・朽木稙昌の父・朽木稙綱の神号「豊磐稙綱命」にちなみ「豊磐の井」という名がついた。

天守閣は三層四階建て。内部は資料館として歴代城主に関する資料などが多数展示されている。展示資料で必見は「家中軍法」。展示物はレプリカで本物は御霊神社(後述)にある。軍律を記したもので、織田軍団唯一の軍法とされる。本能寺の変のちょうど1年前にあたる天正9年6月2日に定められており、織田信長に忠誠を尽くしていた光秀に、どのような心境の変化があったのかは謎だ。

天守閣からは福知山の街並みが見渡せる。由良川や、橋の手前には蛇ヶ端御藪(明智藪)が見える。光秀は何もなかった河原に城と町を築いたが、標高20mと低い地で、由良川と土師川が合流し常に水害に見舞われていた。城下町を守るために築いたのが蛇ヶ端御藪で、現在は北端が残るのみとなっている。

〇福知山光秀ミュージアム

今年1月に福知山城公園内の佐藤太清記念美術館2階にオープンした「福知山光秀ミュージアム」。1年間の限定開館で2021年1月11日まで。大河ドラマ企画だけでなく、美術館という条件を活かし、大河ドラマの時代考証をしている小和田哲男氏監修のもと丹波と光秀の関わりを中心に、家康から信長に送られた長刀、肖像画、古文書などを展示。1年間で延べ約110点を10期に分けて展示する。

ミュージアムには今年の5月に実施された「本能寺の変 原因説50 総選挙」の結果も掲示。光秀はなぜ信長を裏切ったのか、その動機には多くの説が提唱されている。投票で1位になったのが4046票を獲得した「暴君討伐説」。義に反する残虐な行為を行う信長に不信感を持った光秀が、正義のために討ったというもので、小和田氏もこの説を支持している。

〇福知山イル未来と2020 「明かき光」

福知山城の登坂道や本丸広場を会場とした、入場無料、予約不要のデジタルアートイベント。新型コロナの影響で一度は中止を決定したが、密を避けるため期間を1か月に延長し、秋の夜長を各々が楽しむ設えに変更して実施することに。

全長130mの登坂道では約30台のプロジェクターが(全体では50台使用)、Wi-Fiでつながった1台のパソコンから映像をコントロール。すべてのプロジェクターに小型スピーカーがついており、押し寄せる音楽や光を感じながら日本最大級130mのデジタルアートが楽しめる。

〇御霊神社(福知山市)

「ごりょうさん」と呼ばれ現在も市民に親しまれている、光秀の霊が祀られた御霊神社。創建は1705年で、本能寺の変から100年以上のち、9代目の福知山城主・朽木稙昌が、領民の願いを受けて宇賀御霊大神を祀る祠に明智光秀の御霊を合祀した。

治水事業や、屋敷にかかる「地子銭」という固定資産税を免除することで福知山は商都としても栄え、こうした光秀の善政を語り継いできた領民は、光秀の御霊が祀られたことを祝い、光秀のための「御霊会」という祭りを行うようになった。境内には、祈れば願いが叶うといわれる「叶石」や堤防神社がある。

〇天寧寺(福知山市)

臨済宗妙心寺派の寺。建立された正確な年は不明だが、最初の住職である愚中周及禅師が入ったのは貞治5年(1365年)とされる。愚中周及禅師は19歳のときに天竜寺船に乗って中国(元)に渡った留学僧で、金山寺で7年間ほど修業し師の即休契了より第一の弟子と認められるほどになった。

法嗣の証として肖像画「即休契了 頂相」(重要文化財)を託され、帰朝後は京の華やかさを嫌い丹後、丹波で修業、その折に天寧寺が開山となり、静かな環境から金山寺と同じ修業ができる場だと住職に。天寧寺の山号は中国での修業の場にちなみ「紫金山」とし、近くに流れる渓流を揚子江と名付けて金山寺に見立てて禅の修行と後進の育成にあたった。

漆喰の六角堂、開山堂、薬師堂があるが、江戸時代中期にあった火事で建物が全焼、現存するのはその時に建て直されたもの。昭和36年には落雷で本堂、庫裏が全焼したが薬師堂、開山堂は延焼を免れた。

薬師堂には京都の北部では珍しい雲竜図がある。当時京都で活躍していた絵師の一族原家の初代・原在中が、寺に寝泊まりしながら雲竜図を制作。顔料を溶く水を探し求め続けたため、最初は作業がはかどらなかったが、水が見つかった途端一気に描き上げた。その時の水が良かったためか、改修は一度もされていないが、今でも色鮮やかに残っている。

天寧寺に伝わっている光秀に関わる文書は、光秀の「明智光秀判物」(天正8年2月13日付、天寧寺宛)と、娘婿の秀満の「明智秀満判物」(天正9年10月6日付、天寧寺宛)。下記画像の右側が光秀、左が秀満の文書(※取材日はレプリカでの見学)。

寺を保護するという内容が書かれているが、焼き討ちされた寺院も多かった中で、天寧寺はなぜ守られたのかは諸説ある。天寧寺が反抗勢力側についていなかった、天寧寺は足利家の祈願寺でもあり、織田家の前に足利家に使えていた光秀が、恩義を感じていたのではないかという説もある。

〇山家城と山家陣屋(綾部市)

山家城(甲ヶ峯城)は綾部市山家地区にある標高236mの甲ヶ峯山頂に築かれた山城。光秀の丹波攻略の際は山家も攻撃を受け一度は降伏。城の破却を命じられたが、城域内に照福寺という寺があったことから「城ではない、寺である」と称して、城郭を取り払わなかったため1580年に光秀軍に攻め落とされた。丹波地域では光秀が最後に攻めた城とされる。

その際に城主の和久左衛門佐は逃げたため、探し出して捕えよという光秀直筆の書状が御霊神社に残っている。山家城が攻め落とされた後、山家藩主となった谷衛友が麓に山家陣屋を築き、谷家が13代280余年続くことになった。

現在は山家城址公園として整備され、復元された城門の2階は「山家資料館」として、歴史資料が展示されている。下記画像は案内をしていただいた、和久左衛門佐の末裔である和久輝幸さん(左)と、山家資料館の山田幸比呂館長。

〇田辺城資料館(舞鶴市)

明智光秀の盟友であり、息子・忠興が光秀の娘の玉子、のちの細川ガラシャを妻に迎えた親戚関係でもあった、細川幽斎(藤孝)により築城された田辺城。幽斎は本能寺の変により光秀と袂を分かち秀吉側についた。

田辺城を舞台にした戦いが、関ヶ原の合戦2か月前に起こった「田辺籠城戦」。500人の細川軍を石田三成方の1万5000人の西軍が取り囲み、52日間にわたり攻防が繰り広げられた。幽斎は非常に優れた文化人でもあり、古今和歌集の解釈の秘伝である「古今伝授」の継承者であったことから、後陽成天皇の勅命により城の包囲網は解かれた。

古今伝承の故事にちなんで名づけられた庭園「心種園」には、幽斎が田辺籠城戦の際に詠んだ和歌「いにしえも今も変わらぬ世の中に 心の種を残す言の葉」の石碑がある。

明治の廃城令で城は取り壊され、現在残っているのは本丸天守台と本丸北側、二の丸の一部の石垣。京都の二条城の隅櫓をモデルにした二階建ての櫓「彰古館」は、紀元2600年記念事業として昭和17年に建設され、現在は細川幽斎の生涯を紹介する展示がされている。城門は大手門をモデルに平成4年に再建。2階は資料館となっている。

〇桂林寺(舞鶴市)

寺伝によると創建は1401年。田辺籠城戦の際に、6代目の住職・大渓禅師や弟子たちが大手門の防備に加わり細川軍を支援。その功績により細川忠興が寄進したのが「仏涅槃図」。もとは丹後府中(宮津市)にあった国分寺が所蔵していたもので、室町時代の窪田統泰によって描かれたと伝わる。境内には総門、中門、鐘楼門の3つの門があり、鐘楼の梵鐘も細川家からの寄進。

光秀ゆかりの旅で楽しむグルメ&おすすめスポット

〇福知山アークホテル「光秀ききょう膳」(福知山市)

福知山アークホテルの「食房 和楽」で提供している、旧丹波国地域の食材を使った「光秀ききょう膳」(税込2280円)。丹波春日「黒豆ごはん」、日本海で獲れる京都魚市場直送の「かんぱち」、由良川で獲れる「鮎の甘露煮」、丹波篠山「ぼたん鍋」、京丹波町産「大黒本しめじの天ぷら」、舞鶴発祥のブランド万願寺とうがらしの「万願寺甘とう」。

〇とりなご久兵衛(福知山市)

今年6月にオープンした、鴨すきで知られる「鳥名子」の新店。福知山では「鳥名子本店」、「柳町」に続く3号店となる。京都銀行の源流のひとつ「治久銀行」を福知山に設立した、呉服商の片岡久兵衛が店舗兼自宅としていた建物を修復、改装した。明治・大正・昭和期に建てられた3棟のそれぞれに趣のある部屋で食事を楽しめる。

席数は150名。グループの人数に応じて個室対応ができる。鴨すきは2名から提供。以前紹介した2号店「柳町」は青ネギだったが、本店と「久兵衛」は白ネギで提供している。

つくねを最初に入れてだしとして味のベースを作り、再度沸騰してから、しゃぶしゃぶ程度に肉は10~15秒、ネギは5~10秒ほどで引き上げる。肉の性質上長く煮込むと固くなるので1枚ずつ入れるのがポイント。七味、一味、山椒など好みの薬味でいただく。

〇日本料理 加寿美(舞鶴市)

昭和23年創業の「日本料理 加寿美」。舞鶴の旬の魚介をメインにした懐石料理、一品料理を提供。舞鶴産の岩牡蠣(6~8月)や、11月からは舞鶴産ズワイガニ「舞鶴かに」が登場。9月末に訪れた際は、アオリイカ、鯵、ノドグロ、創業以来提供している人気メニューのそばなどをいただいた。

〇福知山観光案内所(福知山市)

福知山駅のすぐ隣にある観光案内所。旅の情報収集はもちろん、福知山の名産品や光秀グッズも販売している。光秀関連では明智家の桔梗紋が入った「桔梗紋マスク」(白・550円、青・680円)、「明智光秀京都ブレンド茶」や「光秀タオル」、イケメン戦国「明智光秀」福知山コラボグッズも揃えている。

【AJの読み】福知山は市民総出の“光秀推し”

明智光秀と言えば「本能寺の変」。主君の織田信長を討った裏切り者というイメージだったが、福知山城に展示されていた「家中軍法」を見ると、信長への感謝、敬意が込められた“信長愛”を感じる文書だった。その1年後になぜ逆臣となったのか、日本史上最大の謎としてさまざまな説があり、歴史のロマンを感じる。

城下町を整備し、税を免除した光秀は、福知山の発展の基礎を築いた人物として、今でも福知山市民に慕われている。念願の大河ドラマ主人公となり、福知山市民の光秀愛はさらにヒートアップ。町中のいたるところに光秀がいる、市民総出の“光秀推し”となっている。

文/阿部純子

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