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今年40周年!永谷園『すし太郎』ロングセラーの舞台裏

2017.02.26

■新連載/新しいロングセラー

 平成も今年で29年。昭和から売られている商品なら、もはや全てが30年以上売られているのだ。そう、気づいたらロングセラーになっているわけだ。そこで、昭和晩期から平成にかけて販売された、“新しいロングセラー”商品に注目してみようというのがこの連載。

 記念すべき初回は、1977年発売で今年40周年を迎える、永谷園の「すし太郎」。北島三郎さんのテレビCMが懐かしい、寿司業界の革命児をご紹介します。

20億食売れた「すし太郎」。40年の歴史とは?

■アイデアマンの鶴の一声で苦難の開発がスタートした

 1952年発売の「お茶づけ海苔」や1964年の「松茸の味お吸いもの」、1974年発売の業界初フリーズドライ方式の即席みそ汁「あさげ」など、現在でも人気のヒット商品を生み続けたアイデアマンであり、永谷園の創業者でもある故永谷嘉男氏は、子供に人気が出そうな商品開発のアイデアに悩んでいた。

 1976年頃のある日、永谷氏はある新聞記事に釘付けとなった。それは、当時の小学生が食べたい給食のメニューで、カレー、ハンバーグ、寿司が人気を誇り、中でも寿司がナンバー1の人気である、そんな日常の何気ない内容の記事だった。

 永谷氏はそれをヒントにして、寿司に関わる商品を作るためにプロジェクトチームを結成。さまざまな部署からメンバーを集め、日々開発を進めさせたのだ。

 永谷園はそれまで、ドライ商品しか扱ってこなかったが、新商品はウエット商品で行うと決定、ノウハウが全くない商品開発でメンバーは悪戦苦闘したという。

 特に、できあがりが均一な商品を大量生産することが難しかったという。具材を袋詰めする「充填作業」に苦しんだのだ。乾燥して水分の抜けた具材なら扱いに長けていたが、酢を含む液体、さまざまなサイズの野菜などを高速で、均等に分けるのは当時の技術では大変難しく、当初は、ひとつひとつ茶こしで具をすくって計量し、手作業で袋につめるなど、大変な作業を行っていたという。

 連日連夜の研究開発が続けられ、商品化されたのはプロジェクト発足から1年半後、その後も調味酢の量を減らしたり、具のつなぎ方を考えたりなど、試行錯誤を繰り返し、充填の機械化には発売からさらに数年を要した。

すしの素を生産する様子(80年代初めごろ)
すしの素を生産する様子(80年代初めごろ)

■広島、岡山で販売開始。関西進出で人気が爆発

 生産に苦労した分、いきなり販売がうまくいったかというと、そうは甘くない。生産の機械化が今ほど進んでいなかった当時は、一部の地区でテスト販売し、徐々に販売地区を広げていく方式が一般的であった。

 手始めとして、広島、岡山の百貨店やスーパーから販売を開始した。それが1977年10月21日のこと。今から40年前の話だ。

1977年発売当時のパッケージ
1977年発売当時のパッケージ

 まずますの売上を記録していたものの、後の爆発的ヒットにつながる兆しは、この時点では見えていなかった。

 しかし、翌年に関西地区で販売を開始すると流れは大きく変わる。百貨店で店頭実演販売を始めた所、人気が爆発、あっという間にすし太郎を売り切ってしまったのだ。

 関西地区での大成功をきっかけとして、ようやくすし太郎は全国販売を開始し、現在までの40年間で20億食を販売する大ロングセラー&ヒット商品へと成長したのだった。

お話を伺った永谷園 営業本部の國井紳一郎さん(右)と永谷園ホールディングス 広報室の松山 哲也さん
お話を伺った永谷園 営業本部の國井紳一郎さん(右)と永谷園ホールディングス 広報室の松山 哲也さん

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