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『綾鷹』の開発に携わった宇治の老舗茶舗・上林春松本店で御茶師の仕事を体験(2016.04.08)

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■連載/阿部純子のトレンド探検隊

 今年で10年目を迎える緑茶ブランド「綾鷹」から新製品『綾鷹にごりほのか』が発売された。急須の味を目指している綾鷹が、緑茶本来のにごり(抹茶)や旨みを活かしつつ、苦みや渋みを抑えて飲みやすい味わいになった。後味もすっきりとして、夏場の喉の渇きにもごくごくと飲めるさわやかさだ。

 綾鷹同様『綾鷹にごりほのか』も、450年の歴史を持つ京都・宇治の老舗茶舗「上林春松本店」の協力を得て開発されている。今回、新製品の発売に合わせて、上林春松本店を訪問する機会を得た。上林春松本店の歴史や御茶師としての仕事を学び、「合組(ごうぐみ)」と呼ばれるブレンドによるオリジナル茶作り、抹茶工場の見学などの体験レポートをお送りする。

◆幕府の御用茶師として発展してきた上林春松本店

 平等院や宇治上神社に近い宇治橋通りにある「宇治・上林記念館」。私たちを迎えていただいたのが、上林春松本店代表の上林 秀敏さん。上林さんの案内で御茶師としての歴史や、綾鷹開発の秘話、合組技術などについて話を伺った。

「綾鷹」の開発協力を行った京都・宇治の老舗茶舗「上林春松本店」で御茶師の仕事を体験

 宇治・上林記念館は歴史的建造物の「茶師の長屋門」を活かした資料館で、宇治茶や上林春松家の歴史がわかる資料や製茶道具などが展示されている。隣には直営小売店があり、茶の販売のほか、呈席が設けられ庭を見ながらひきたての抹茶を味わえる。

「綾鷹」の開発協力を行った京都・宇治の老舗茶舗「上林春松本店」で御茶師の仕事を体験

 茶の歴史は大半が抹茶の歴史であり、上林春松本店でも長く抹茶を扱ってきた。茶師は茶の専門家としての役割を担っていたが、最初に茶師の名が出たのが室町幕府の三代将軍・足利義満の時代で、金閣寺を建立して北山文化を開花させ、南北朝を統合した義満は文化にも通じ、薬用として用いられていた茶を、茶の湯文化を開くことで文化的価値まで引き上げた。

 上林春松本店の創業は1560年ごろとされる。初代・上林春松の父である掃部丞久重(かもんのじょうひさしげ)には4人の息子がおり春松は三男。室町時代後期に茶師としての歴史が始まった上林家だが、茶師としての名声を上げるきっかけとなったのが織田信長だった。

 信貴山城の戦いで信長の道案内を務めたのが長男・久茂(ひさもち)。当時の道案内は重要な役割で成功すると功績が認められ、見事役割を果たした上林家には、槇島の地と銀が与えられ、茶の献上を命じられて、信長に茶師としての地位を認められた。信長は茶の湯を政治に密着させた人物で、信長に認められ有力茶師の「御茶師」としての地位を築いていった。

 豊臣秀吉の時代になってからも茶の湯は興隆し、秀吉は北野大茶会や金の茶室といった派手な茶の湯を好んだ。記念館には秀吉から送られてきた手紙(秀吉の直筆ではなく、書記である祐筆のもの)が展示されている。

「綾鷹」の開発協力を行った京都・宇治の老舗茶舗「上林春松本店」で御茶師の仕事を体験

 お茶の詰め方が非常にぞんざいであり、袋の中のお茶がこぼれていたということ叱りつけている内容で「秀吉をおろそかにし候」と怒りつつも、「又ハは茶もよく候」。茶の質がとても良いにもかかわらず、仕事がぞんざいなことに立腹したらしい。しかしこれ以上の咎めはなく、叱ることで激励されているのだろうと、上林家では叱り状として今でも大切に保管している。事実、秀吉は上林家を重用するようになっていく。

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